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セフィロスに大きなスケッチブックと新品のクレヨンが『支給』された。
これも検査の一種であるらしい、研究員曰く、絵を描くという行為そのものが幼い子供の目に見えない精神状態を推し量ることに適しているのだそうだ。
子供なら誰でもするであろうお遊びの一つが研究対象となってしまうことに大きな違和感を感じる、こんなことまで研究に繋げなくてもいいだろうと思ってしまう、自分には科学者のセンスなどないからそう感じるだけなのだろうか。
苦い思いを口の中で無闇に転がしながら、そのスケッチブックとクレヨンを朝食を終えたばかりのセフィロスに手渡した。
文字の読み書きばかり教え込まれているセフィロスはまともに絵を描いたことがほとんどない、例外と言えるのは文字を覚える際に失敗してしまった、イラストと象形文字の境目のような線の集合体を書いたものだけだ。
当然、いきなり絵を描けと言われたセフィロスも最初は酷く戸惑っていて、何をどう描けば良いのかとしきりに私に尋ねてばかりいた。
研究員の受け売りのままに、思う通りに描きたいものを描けば良いのだと伝えてはみたが、セフィロスの困惑はますます深まるだけのようだった。
アドバイスをするためにも己が幼い頃に描いていたものを思い出せればそれに越したことはないのだが、いかんせん時が経ち過ぎてそんな記憶はもう残っていない。
少し大きくなってからならば絵の具を使って絵を描いていた記憶が朧げながらに存在するが、そちらはさすがに年齢が現在のセフィロスと離れ過ぎている。
どうしたものかとセフィロスの横で頭を抱えながら、そういえば子供の頃の自分は風景画や静物画ばかりで人間を含めた『動くものの絵』というものを描いたことがないことにふと気が付いた。


「、、、何か生き物を描いてみるのはどうだろう?」
「いきもの?」
「そう、生きていて、セフィが好きなものを描いてごらん?」


私の咄嗟の思いつきに、幼いセフィロスは小さな唇を尖らせて「うーん」と唸った。
迷っているような表情ではあるが、先程とは違ってある程度の選択肢を自ら作ることができているように見受けられる。
しばらくの逡巡の後、セフィロスは一人満足そうに頷いて、ふくふくとした白い手に対照的な黒いクレヨンを握り込んだ。
やけに楽し気な様子から何を描くのかと興味が湧いてセフィロスの手元を覗き込もうとすると、「びんは見ちゃダメ」と手でスケッチブックを隠した幼子に愛らしく叱られてしまう。
そのあまりに素早い拒絶に小さなショックを覚えたが、続いた「できたら見せてあげる」という台詞と笑顔ですぐに私の機嫌は急上昇した、我ながら単純だ。
すぐ戻ると言ってセフィロスが平らげた朝食の食器を台所へと片づけるため部屋を出る、今頃あの子は何を描いているのだろう。
この間窓辺に留まっていたツグミだろうか、図鑑で教えたばかりのクジラだろうか、それとも昨日庭で見かけたばかりのリスだろうか。
真っ先に黒いクレヨンを握っていたから、もしかしたら話に聞かせただけで実際に見たことのない黒猫を想像だけで描いているのかもしれない。
初めて絵を描くのだからきっと大人が一目で何を描いたのか分かるほど上手には描けないだろうが、それでも描き上げた絵をうんと誉めてやろう。
例え実験の一部でしかなくとも、それを描いている本人が苦痛ではなく『楽しい』と感じられるならそれ以上に良いことはないはずだ。
簡単に食器を洗い、清潔なタオルで水気を拭って棚に仕舞う、いつもならその後は護衛の任務に戻るか屋敷の周囲を確認に回るのだが、セフィロスの絵が気になって言葉通りすぐに部屋へ戻った。
小さなノックをしてドアノブに手をかける、返答がないのは絵を描くことに夢中になっているからだろうか。
ドアを開くと、こちらへ小さな背を向けたセフィロスは子供特有の高い音域で鼻唄を歌っていた、聞き慣れはしたが馴染みのない旋律、ウータイ系の乳母が赤児だったセフィロスをあやす時によく歌っていた子守唄のメロディだった。
セフィロスはあの乳母をまるで覚えていない、そういう女性がいたことを話してみたこともあったが理解もできないようだった、それでも子守唄の旋律だけは時折ふと思い出している。
歌詞は覚えていないようだし、いつでもその旋律を思い出せるというわけではない、日ごとに思い出せる曲の長さは短くなっているようだから、その内完全に忘れてしまうのだろう。
それでもこうして赤児だった頃の片鱗を蘇らせるセフィロスを発見する度、ルクレツィアの胎内で聞いていた私達の会話まで思い出す日が来るのではないかとありもしない妄想に恐怖してしまう瞬間がある。
その恐怖は全力でその場から走り出したくなるような焦燥を私に投げ付け、同時にいつか大人になれば私のことも綺麗に忘れてしまうのだろうという寂寥感と安堵ももたらした。
絵を描くことや鼻唄を歌うことにすっかり夢中になってしまっているのか、いつものノックどころか私が部屋へ入ったことにも気付かないセフィロスへ向けて、開いたドアを再度ノックする。
今度は気付いたらしいセフィロスがクレヨンで真っ黒になった小さな手と、やはり黒い汚れの付いてしまったまろやかな頬をこちらへ向けた。


「もうおわったの?」
「何を描いたのか気になって」


胸を騒がせた焦りを無理矢理封じ込めて微笑むと、セフィロスはもじもじしながらスケッチブックをひっくり返して床へ伏せてしまった。
その仕種で余計にどんな絵を描いたのか気になったが、嫌がるセフィロスの意志に反して無理に見るようなことはしたくない。
腕を差し出すと応えるようにセフィロスも手を伸ばして来たのでその小さな身体を腕に抱き上げる、見せてくれるのだろう?とできる限りの優しい声音で催促すると、幼子は恥ずかしそうに顔を俯かせて頷いた。
何故そんなに恥ずかしそうにしているのだろう、上手く描けなかったのだろうか、不思議に思いながらもう一度セフィロスの了解を得て伏せられたスケッチブックをひっくり返す。
すると、そこには真っ黒に塗り潰された大きめの円が一つ、小さな円と長方形がいくつかと、赤い小さな円が二つ描かれていた。
恐らくこれは人の形を模しているものだ、真っ黒な大きめの円が頭部、長方形が胴体や手脚、小さな円は拳や足なのだろう。
頭部と思しき大きめの黒円内に描かれた赤い小さな二つの円はなんだろう、なんだか黒い人間の頭部から血が出ているように見える。
思わず硬直してしまった私の視界の端で、セフィロスが円らな瞳をキラキラさせながら何やら期待の眼差しをこちらへ注いでいるのがひしひしと伝わって来た。


「、、、上手に描けているよ、セフィ」
「ほんとう?」


必死に取り繕った私の笑顔に、セフィロスは嬉しさを隠そうともしない歓声を上げた。
腕の中ではしゃぐ幼子に罪悪感が肺を締め付ける、だが他にどう言えと言うのだ、私にそんな高等なスキルの持ち合わせはない。
己を誤魔化すように黒く汚れた柔らかな頬をごしごしと指で拭う、喜びに紅潮した頬がニコニコとした弾けんばかりの笑顔を形成して見せた。


「これ、びんにあげる!」






















「、、、というわけなんだが、、、」
「いや、分かったけど、持ち出して良いのかこれ?」


今までの経緯を話して聞かせると、ヴェルドはあからさまに呆れたような顔をして屋敷の門に背を預けつつ溜め息を吐いた。
その手の中にはセフィロスの描いた『頭部から出血している黒い人間』の絵であろうと思われるものがある。
幼い子供の描く絵にしては色彩が少な過ぎる、何より色の選択もきっとよろしくないであろう、どうにも不安を掻き立てるその絵をヴェルドはまじまじと見つめた。


「黒い人間に赤い血、、、精神鑑定で悪い結果が出てしまう気がする」
「まあ、確かに」
「これをそのまま研究者に渡してしまって良いのだろうか」


妙な結果が出てセフィロスへの投薬やカウンセリングがまた増えてしまうのではないだろうか、もしそうなってしまったら幼い子供の身体への負担があまりに大き過ぎる。
本当に精神に何かしらの異常があるのならばともかく、単に絵を初めて描いたからこんな妙な色合いになってしまっただけかもしれないというのに、いやきっとそうだ。
ああ、しかし何故よりにもよって黒と赤なのだセフィロス、これがまだ青とピンクだったなら他者へ違う印象を与えることができただろうに。
懊悩に呻きながら頭を抱える、いっそ綿密にセフィロスのタッチを模写して別の色で同じ絵を描いてしまおうか、どうせあの子の絵を見た者など私とヴェルドしかいないのだ、改竄したところで発覚するまい。
いや、だが何かの折に研究者の目の前で絵を描くよう言われてしまうかもしれない、改竄した絵をセフィロスの前に出されてしまうかもしれない、まさかそれを想定してセフィロスを言い包めておくわけにはいかないだろう、それは教育上よろしくない気がする。
だがそんな暢気なことを言っていても良いのだろうか、精神鑑定だの教育だのにとんと興味がなかったからこんな時にどうすれば良いのか全く分からない、どうして今までその分野に興味を持たなかったのだろうか私という男は。


「これ、お前だろ」
「、、、、、何?」
「ほら、真っ黒で目が赤い」


一人で悶々と後悔に打ちひしがれる私に、ヴェルドはセフィロスの描いた黒い人間の頭部にある赤い二つの円を指差してからその指をそのまま私の顔へと向けた。
次いで、黒髪、黒い服、黒いグローブに黒い靴、と順々に指差しては絵の中の黒い人間の各部位に当てはめて行く。
赤いのは血じゃなくて目だ、身体が全部黒いのは制服のせい、頭はお前は髪も黒いから、と呟くヴェルドに小さく呻いて返事をする。
これが私となると、もしかしてセフィロスの目に私は真っ黒に見えているのだろうか、目を隠して色の違う服を来たら判別して貰えないのではないだろうか、いやいやまさか、、、
落ち込みかける私の手から溜め息を吐きつつセフィロスの絵を奪い取り、ヴェルドはつまらなさそうにそれを眺めて言った。


「お前があの子供の『好きな生き物』なんだろうさ」


本当に懐かれたもんだな
呆れ半分に呟かれた言葉が一瞬理解できず、しかしすぐにそれはセフィロスから私へ向けての好意であるという意味なのだと気付いた。
気の無い仕種でヴェルドがこちらへ絵を渡して来たのですぐに受け取る、無気味な黒い人間が自分であり、それは『好きな生き物』をテーマに描かれた絵だと思うと不思議と胸の奥をじんわりさせてくれた。
嬉しさのあまり思わずしまりのない顔でもしていたのか、ヴェルドが私の顔を見て片眉を上げ、これ以上ない程の深い溜め息を吐く。


「もうそれ、科学者に渡さないで自分で持ってろよ」
「、、、それは、、、」
「バレやしないだろ」


俺は何も見てないからな
突き放したような声音でヴェルドは面倒そうに言い放ち、寄り掛かっていた門から身体を離した。
任務に戻るからと屋敷から離れて行く背中と手元の絵を何度か見比べ、幾度かの逡巡を経て結局私はその絵を丁寧に折り畳み、スーツの内ポケットへと忍ばせることにした。
ちらりとこちらを振り返っていたヴェルドがそんな私の姿を見て、歩き続けながらも呆れ返ったと言わんばかりに両肩を大袈裟に竦ませたのだった。

管理人の憧れサイト様である【地平線の影の中】の涼さまより頂きました。
超幸運なことに22222Hitを踏ませて頂きまして、ターヴィン子セフィの小説をリクエストさせて頂きました。その後ヴェルヴィンも好きなんです的な事をちょろっとお話したところ、主任まで登場させてくださった…という、もう本当に幸せすぎるよ、私!
子セフィがヴィンを「びん」って呼ぶのが、可愛くて可愛くて大好きなのです。ぜひそんなシーンを入れてもらえると…と我儘まで言わせて頂きましたよ私…。
本当にありがとうございました。22222Hitおめでとうございます!

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