247

gallery≫novel

Dear my ...

 目の前を横切った人影は、よく見知った少女のもので、こちらに気付かず走り去ろうとしていたその腕を、声を掛けるより早く掴んでいた。
 突然、腕をとられた少女の方はもちろん驚いたのだろう、びくりと立ち止まると、恐る恐る後ろを振り返った。
 
「マリン」

 少女を驚かせたことはすぐに解ったので、ヴィンセントは少女の名を呼ぶ。もっともその声音は、他人を安心させるという柔らかいものとは程遠く、いつもながらの無愛想な調子なのだが、マリンはほっとしたように力なく笑った。
 
「ヴィンセント……」
「どこへ行くのだ?こんな」

 時刻に、と続けようとしたヴィンセントだったが、マリンの表情がさっと曇ったことに気付き、皆まで口にせず、少女の前にしゃがみこんだ。
 目線を合わせてみると、夕暮れ時の薄暗くなりかけた路上でも、少女の白い頬に幾筋も涙の跡が残っていることがはっきりと解る。
 マリンが向かおうとしていた方向は、彼女の自宅でもあるセブンスヘブンとは逆の方面だ。
 同じ高さに目線を合せられたマリンのほうは、俯き小さな手でぎゅっと自らのスカートを握りしめている。
 小さく息を吐くと、ヴィンセントは立ち上がって携帯電話を取りだした。
 よもやマリンが逃げ出すとは思っていないのだが、彼女から視線を外すことなく携帯電話を操作し、ある番号を呼び出す。視線を端末に集中していないせいもあるのだろうが、機械を操作する姿はどこか不器用そうに見える。そもそも自ら電話を掛けるという行為自体が珍しいヴィンセントなのである。

『はい、セブンスヘブンです』
「ティファだな?私だ」

 コール2つで電話は繋がった。慌てたようなやや早口の応対は、ティファにしては珍しい。
 だが、電話を掛けてきた人物が彼女の予想の範疇を超えていたのだろう。一瞬の沈黙の後、彼女が発した言葉はどこか間が抜けていた。

『……ヴィンセント?』
「ああ」
『珍しいわね』
「今、エッジにいるのだが」
『そうなの……ええと、あのね、今……』
「マリンと一緒にいる」

 え?と電話の向こうでティファが絶句した。
 彼女は取り込んでいて忙しい、という内容のことでも言おうとしていたのだろう。その反応は、ヴィンセントの予想内のものである。
 どうやらマリンはティファに何も言わずに出てきたらしい。これもまたヴィンセントの想定していた事態のひとつだ。
 もうすぐ日が落ちる時刻だ。ティファは帰宅しないマリンを心配し、あるいはクラウドがマリンを探しに出ていて連絡を待っていたのかもしれない。
 
「マリンと一緒にエッジの街中にいる」
『……そう……良かった』

 もう一度同じ言葉をヴィンセントが繰り返すと、電話の向こうのティファが安堵のため息を吐く。その声を電話越しに聞きながらヴィンセントが口を開こうとすると、マントを引っ張られた。
 マリンが俯いたまま、ぎゅっとマントを握りしめている。
 そんなマリンの頭をヴィンセントは軽く撫でてやる。ピンク色のリボンがふわふわと揺れて、かつて共に旅をした少女の姿を思い起こさせた。
 
「店が終わるころに送っていく。だから心配するな」
『でも……』
「何も問題はないだろう。いつも通り店を開ければ良い」

 何故、わざわざ店を開けるよう進言したのか、ヴィンセント自身にも理由ははっきりとは解らなかった。ただ、何となくそのほうが良いと思ったのだ。
 いつも通り、という部分に微妙にアクセントを置くと、どうやらティファのほうでも何か感じ取るものがあったらしい。

『そうだね……うん、そうするわ』
「ああ」
『あ、クラウドにも電話しなくちゃ』
「そうしてやれ」
『うん。じゃあ、ヴィンセント。マリンをお願いね』
「了解した」

 では、と短い別れの挨拶を伝え、携帯電話を閉じた。
 マリンはまだマントの端を握ったままで、不安そうに背の高いヴィンセントを見上げている。
 彼はもう一度少女の髪を軽く撫で、革のグローブをはめた右手でマリンの左手をとると、街の中心へ向かって歩き出した。

 日暮れ後に子供を連れて行ける場所などさほど多くはない。
 自分とマリンがどうあっても親子には見えないことなど、端から承知している。むやみに街中を歩き回って、誘拐や連れ回しの類だと誤解されるのも面倒だと思ったヴィンセントは、街中で適当な店を見繕うと、通りに面した席に腰を落ち着けた。
 好きな物を選べと促すと、それなりに空腹ではあったのだろう、いくつかの料理に目を向けていたが、結局マリンは、小さな声でココアと答えた。

「良いのか?」

 それだけで良いのか?とヴィンセントが問うと、こっくりと少女は頷き、やや不安を顔に浮かべ逆にヴィンセントへと問うた。
 
「ティファ、ごはん作って待ってるよね……?」
「おそらくな」
「うん……」

 二人の間に沈黙が落ちる。
 子供が相手だからといって、ヴィンセントは殊更気を使うようなことはしない。
 事情を聞くべきか否か、迷いはしたが、結局はマリンの判断に任せようと思っていた。
 もちろん、自分相手に相談したければ話を聞いてやるのに吝かではないし、年長者としてそれなりのアドバイスくらいは出来るだろう。
 逆に何も話したくないというのであれば、それはそれで構わないと思っていた。マリンが家に帰らなかったことでティファやクラウドが心配したであろうことはマリンなりに理解している様子であったし、それさえ理解出来ているのならば十分だとヴィンセントは思う。自分が敢えて説教をするべきことでもないように思えたのだ。
 決して気詰まりではない沈黙が続く。
 通りを行き交う人を、マリンもヴィンセントも、ただ言葉もなく眺めていた。
 家路を急ぐ男、華やかな笑顔を交わしあう妙齢の女性、そして仲良く手を繋いでいる家族。

「あのね」

 口を開いたのはマリンのほうだった。
 
「お手伝いしようと思っただけだったの」
「……手伝い?」
「うん。ティファ、忙しいから。かわりにお料理しようと思って……」
「火でも使ったか」

 やや項垂れたように、マリンが頷く。
 
「いっつもティファと一緒に作ってるから、出来ると思ったの」

 マリンがよくティファの手伝いをしていることは、ヴィンセントでも知っていた。時折店に立寄ると、カウンター内で忙しく立ち回るティファの後を追いかけているマリンの姿をよく目にした。手伝いにかけてはクラウドよりよっぽど頼りになるわ、とティファはよく冗談めかして笑っていた。
 
「でもね、ティファやクラウドがいないときに勝手に火をつけたりナイフを使っちゃダメってお約束だったの」
「そうか」
「マリンがいけないんだよね……?」

 ヴィンセントはその問いには答えなかった。マリンの中でもとうに答えの出ている問いなのは明らかだったからだ。
 その代わりにヴィンセントはマリンに訊く。
 
「ティファは何と?」
「危ないでしょう、怪我をしたらどうするのって」

 覚えのあるやりとりだな、思った。
 昔、あの銀の天使と同じやりとりをしたことを、ヴィンセントは思い出す。
 確か、あの子がやったことは、無断でナイフを使ったことだった。きっかけもマリンがティファのためを思ってやったのと同じで、ヴィンセントのためだった。
 そして、ヴィンセントはティファと同様、危ないだろう、怪我をしたらどうするのかと叱ったのだ。
 ヴィンセントが大声を上げてあの子供を叱ったのはその一度きりで、ヴィンセントに叱られてあの子が泣いたのもやはりその一度きりだった。
 
「悲しかったか?」

 マリンが少し考えるような顔をして、小さく首を振った。
 
「違うの。怒られたことが悲しかったんじゃなくて……」
 
 今ならば解る。
 マリンも、かつてのあの子も、叱られたことが悲しかったわけではないのだということが。
 子供たちは、役に立ちたかっただけなのだ。それも褒められたくて役に立とうと思ったのではない。
 ただ、いつも愛されるように、その愛情を返したかっただけなのだろう。
 大人からすれば、子供を守り愛すことは当たり前だが、子供だって同じなのだ。
 結局のところ、一方通行の想いなどありえない。それが大人と子供という立場の違いがあったとしてもだ。
 とてもシンプルで簡単なことなのに、当事者であった頃にはそれに気付かない。
 ティファの気持ちも、ヴィンセントにはよく解る。かつては自分もその立場だったのだ。

 数十年の昔に想いを馳せるヴィンセントの前で、少女もまた大切な人の姿を思い起こしながら語っていた。
 ティファのために何もしてあげられなかったこと、むしろ逆に心配させ負担を掛けてしまったこと。それが悲しいとマリンは言う。
 一生懸命に言葉を探す様子は、ここにいないティファへ向ける言葉を探しているようで、ヴィンセントは相槌を打ちながら余計な言葉は挟まずマリンを見守る。
 無意識に右手をホルスターに納められた愛銃へとやり、そこに付いているマテリアに触れていた。ひんやりとした感触のそれが、今となっては唯一残された物となった。冷たい感触と共に、最後にあの子が自分の右手に触れた時の温もりも思い出す。

「今回のことで、お前に悪い点があったとすれば」

 一通り感情を吐き出し、また泣き出しそうな顔をしたマリンにヴィンセントは言う。
 
「それは約束を破ったことだろうな」

 マリンはヴィンセントの言葉を受け止め、うんと頷く。
 
「帰ったらティファに言うね。約束やぶってごめんなさい、心配してくれてありがとうって」
「そうだな、そうすると良い」
「うん」

 ようやく、マリンがにっこりと笑う。
 
「私もティファに言っておこう。マリンが心配していた、と」
「ほんとう?」
「約束だ」
「……ありがとう、ヴィンセント」

 マリンの言葉に、ヴィンセントは小さく首を竦め、外の通りへ視線を向ける。
 行き交う人々の流れの向こうに、いるはずのない人の姿を見た気がした。

↑Return to page-top