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追憶の欠片
Resembling vestige
子供という生き物は見ていて飽きないものだ。
部屋の窓近くに置かれた椅子に腰掛けたヴィンセントは、足元にある銀の髪をした幼子を眺めながらそう思う。
人形のように整った容姿の子供は、さきほどから彼にはまだ読めるはずのない分厚い百科事典の適当なページを開いては微笑んだり眉根を寄せたりと百面相をしている。
あまり表情豊かな子供ではない、子供らしくない子供だ、というのが周囲の大人たちのセフィロスに対する評価ではあったが、決してそのようなことはないとヴィンセントは知っていた。自分といるときのこの子はよく笑うし、時には泣くことさえもある。
ただ手の掛からない子供なのだろう、とは思う。
自分に子供などはいないし、兄弟もいない彼は、比較の対象となるような子供を知らないのだが、普通、子供とはもっと面倒で我侭な生き物なのではないだろうか。
もう少し我侭くらい聞かせてくれても構わないのだが……
そこまで思考が及んだところで、ふと思い出す。
お前は手の掛からない子供だった、と成長したヴィンセントに語っていた父。
そんな父親は、自分が幼かった頃「もっと我侭でも良いんだよ」と苦笑していた。
どうやら自分がセフィロスに向ける感情はどことなく父親めいているらしい。
母親を知らず、父親もまた親である前に科学者としての立場を貫き名乗りを上げるつもりも無い様子。そんな環境が子供に望ましいものであるはずがないのは明らかで……いや、そもそも科学プロジェクトの一環として生まれたことからして、望ましい環境とは言い難い。
かつては表立って反対の立場を表明したこともあった。だが関係者ではあっても、プロジェクト内部の計画・進行に関しては部外者でしかなかったヴィンセントの意見など聞き入れられるわけもなく、それどころかプロジェクトの護衛という立場にあることで、結果として彼はこの計画の推進に一役買っている。
自身の立場と行動、思考と感情。
矛盾だらけのそれらを思うと、もはや自嘲することすら馬鹿らしかった。
「……ヴィン?」
いつの間にか思考の海に深く沈みこんでいたらしい。
そんなヴィンセントの様子を不審に思ったのか、遊んでいた事典を放り出したセフィロスが遠慮がちに声をかけてきた。
「ああ……どうした?」
「ううん、なんでもない」
ジリリリリ……
そうか、と応えようとした彼を電話のベルが遮った。
ヴィンセントは立ち上がると、部屋の隅にある電話の受話器を取り上げる。
「はい、神羅製作所科学部ニブルヘイム研究所」
愛想が良いとはお世辞にも言えないような声音で彼は電話に応じた。
もっともここに掛かってくる電話は、本社か他の研究所のどちらかからのものしかない。
「ヴァレンタインか?」
珍しいことに、自分宛の連絡のようだ。
そういえば、ひとつばかり本社から連絡が来るであろう心当たりがある。
面倒だ、さっさと切り上げよう……ヴァレンタインは自分であると電話の向こうの人物に名乗りつつ、ヴィンセントはそう思っていた。
「報告書の件なのだが」
「今週中にはお送りします」
「社長が早くしろと仰っているんだ、至急提出を」
表向きはプロジェクトの護衛、そして現在は特にセフィロスの護衛としてニブルヘイムに滞在しているヴィンセントだが、実のところの任務は護衛ではなくプロジェクトの監視であった。いくら社運を賭けた一大プロジェクトとは言え、こんな田舎にタークスの中でもトップクラスの実力を持つ彼の常駐が必要なはずがないことは明らかだ。護衛とは言ったものの、例えばプロジェクトメンバーによる機密漏洩などを監視していることは、科学者たちも何とはなしに理解しているし、ヴィンセントとしてもそれを隠すことはしていなかった。
なぜなら、それすら「表向きの任務」でしかないからだ。
ヴィンセント・ヴァレンタインの当該プロジェクトにおける本来の立場は社長直属の「密偵(スパイ)」である。
科学部門の報告を完全に信用できるはずがない、と考える社長の命で科学者達が本社に伏せているような情報を探っているのだ。ジェノバプロジェクトが生体兵器の開発の様相を呈してきていることで、社長はより疑心を募らせている。自分の手を離れたところに武力を持つ勢力が生まれつつあることは権力者にとって脅威でしかない。
「今週中には必ず」
わざわざ盗聴の恐れすらある回線を使って社長の名を出すなど愚しい。
端からこの電話が面倒事だとしか思っていないヴィンセントは、相手の軽率さへの苛立ちも手伝い、つっけんどんな口調で同じことを繰り返す。
そんな彼の態度が癇に障ったのだろうか、電話の向こうの人物も苛立たしげに嫌味や愚痴めいた言葉を次々と吐き出し始めた。
「そもそも科学者どもは何を考えているのだ、あいつらがコソコソと実験などをするから社長が……」云々。
自分の態度が気に喰わないならばこんな電話などさっさと切ってしまえば良いだろう、ヴィンセントは内心かなりの不機嫌さで、髪をかき上げながら、電話口には聞こえないようにため息をついた。
「……?」
ふと気付くと、ヴィンセントからはやや離れた床の上にぺたりと座り込んだままのセフィロスが、彼の様子を伺うように見つめている。
子供の前では決して見せることのなかった相当に不機嫌なオーラを纏ったヴィンセントが見知らぬ人のように見えているのかもしれない。
緊張と不安をない交ぜにしたような、心もとない幼子の顔を見て、ヴィンセントはようやく目元を和らげる。その顔に微笑のような苦笑のような、曖昧な笑みが微かに浮かんだ。
(おいで)
声には出さず、口を動かす。同時に手招きをした。
その瞬間、セフィロスはパッと顔を輝かせる。素早く立ち上がるとヴィンセントの腕の中へと飛び込んで行く。
いつもならば電話中にこんなことは許されない。電話をしているときは静かに。声をかけてはいけないし、邪魔をしてもいけない。そう教えられている。
だから時折ヴィンセントが電話をしている姿を見ると、セフィロスはなんとなく近づき難くて寂しく思っているのだ。だが、今日は彼の方からおいでと呼んでくれた。
よほど嬉しかったのだろう、名画に描かれた天使のようなとしか形容のしようがない美しい笑顔を浮かべたセフィロスを抱き上げると、ぎゅっとしがみ付いてきた。
そろそろ潮時だ、くだらない電話など終わりにしよう。
だいたいここまでの話の流れなど、ヴィンセントはまったく意に介していない。興味もないし、聞いてやる義理もないと思っている。
適当な文句を見繕い、口を開こうとしたその時、しかし一瞬早く電話の相手が爆発してしまった。
「貴様、聞いているのか!?返事くらいしたらどうだ?えぇ!?」
大きな濁声に思わず受話器を耳から遠ざける。
ヴィンセントにしがみついていたセフィロスにもその大声が届いたらしい。吃驚したように目を見開き、ぎゅうっとより一層強く抱きついてきた。
そうしてわずかな沈黙の後、彼は相手にこう告げた。
「…聞いていますよ。とにかく報告書に関しては今週中に必ず。出来るだけ早く仕上げます。社長としても色々と気掛かりがあるのでしょうが、そのあたりは側近である貴方であれば上手く対処できるのでしょう?」
実際のところは若手の有望株の一人程度にしか社長は思っていないだろうが、側近、と持ち上げておく。これでようやく話が円満に終えられるだろう。
「……そうか、そう思うか?社長がそう仰ってたのか……?」
「ええ、まぁ」
そんな事実はまったくないが、ヴィンセントは肯定も否定もしないでおく。さっさと通話を終えたい……。
「がはははは!そうかそうか、では報告書は今週中に送るように。社長へは上手く取り成しておくからな。がはははははっ!!」
「っ……」
耳を劈くような、豪快……というよりは下品な爆笑に、とっさに再び受話器を耳から離した。
がちゃんッ!
ツーツーツー……
思わず耳から離した受話器をヴィンセントは見つめたが、ようやく通話の切断された受話器からは機械音が聞こえるばかりであった。
「だいじょぶ?おみみ、いたい?」
電話を見つめたまま眉をしかめたヴィンセントの顔を至近距離から見つめるセフィロスが、そう問うた。鈴を転がしたような声とはこういう声を言うのだろうな、と彼はしみじみ思う。
「そう…だな」
やっと受話器を置くと、その空いた左手でセフィロスの銀の髪を撫でる。
子供はくすぐったそうに笑いながら、ヴィンセントの左肩に顔をうずめた。
そして、
「ん……」
ちゅっと小さな音をたて、先ほどまで不快音に晒されていたヴィンセントの左耳に、セフィロスはキスをした。