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私を癒すもの
My healer
「たまには文句のひとつくらい言ってみたらどうかね」
従順すぎるのもつまらん。
白衣を着た、貧相な体躯の男がそう言う。
自分よりよほど苛酷な実験を強いられているであろう幼い子供が何も言わないのだ。自分に何が言えるというのだろう。
そう思ったが、声には出さなかった。
せめて自分がここでこうしている間だけでもあの子が解放されるのならば。
不平不満を口にするどころか、感謝の念すら覚える。
男の手にした注射器に、自分の血液が吸い上げられていくのを眺めながら、ヴィンセントはうっすらと笑いを浮かべた。
出来るだけ長く、少しでも長く。
そう願うヴィンセントだが、彼が実験室から退出したのは、それから半刻もしない頃だった。
「ヴィン」
宝条の嫌味に送られ、実験室から出ると、そこにいたのは銀色の髪の幼子だった。
「セフィ…」
「セフィロス」
ヴィンセントが思わず子供の前に膝をつきその名を呼ぶのとほぼ同時に、彼の背後から声が降ってきた。宝条だ。
「勝手に部屋から出るのではないと言っているだろう」
「……」
ふい、とセフィロスは宝条から視線をそらし、あくまで無視を決め込むつもりのようだ。それが白衣の科学者にも解ったのだろう、ふんと鼻を鳴らすと、実験室へと引き返していった。
ぱたん、と扉が閉じる。
その大きくはないが妙に響く音が消え、完全な無音の空間が戻ってくると同時に、セフィロスは大きく息を吐き、まだ彼の目の前に膝をついたままのヴィンセントに抱きつく。
首に手を回し、ぎゅっと抱きつく子供の小さな身体を、ヴィンセントもまた抱き返す。銀の髪を撫でようと手を伸ばしかけると、それより一瞬早く、小さな手のひらが自分の髪を撫でる感触に気がついた。
「ヴィン、だいじょうぶ?」
抱きしめたままの体勢、セフィロスの声が左の耳元すぐのところで響く。
「ああ」
「おへや、かえろう?」
「そうだな」
腕の中のセフィロスをヴィンセントがそのまま抱き上げようとすると、しかし、珍しくセフィロスが腕を突っ張り嫌がった。
「セフィロス?」
「じぶんであるく」
そうしてヴィンセントの左手を軽く引っ張るようにして、先に立って歩き出す。
珍しいこともあるものだ。ヴィンセントは子供に手を引かれながら不思議に思った。
セフィロスの部屋の前には、タークスの制服を着た男が困惑した顔で立ち尽くしていた。数ヶ月ごとに2名交代でつく護衛だ。常駐しており、護衛任務の責任者であるヴィンセントの指示下に入る者たちだった。
セフィロスが勝手にひとりで部屋を出たのでどうしたものかと思案していたのだ。子供からはついてくるなと拒絶されたらしい。
そんな部下に、ヴィンセントは軽く手を振り、ここはもういいと言外に告げ、セフィロスと共に部屋へと入った。
「おひるね、しよう」
ヴィンセントと繋いだ手を離すことなく、セフィロスはそう言い、ベッドへと歩いて行く。
自分から言い出すとはこれもまた珍しいことだ。
訝しがりながらも、ベッドによじ登ったセフィロスに毛布をかけてやろうとすると、
「ちがう、ヴィンも。ヴィンもおひるねするの」
セフィロスが腕を引っ張る。
「私も…か?」
「うん」
もしかしたらひとりで待っているのが寂しかったのだろうか。そう思ったヴィンセントは、子供に言われるがまま、彼の隣に横たわる。
また、小さな手が髪を撫でるのが解った。
「ごめんなさい」
「…うん?」
「かってに、おへやでちゃって、ごめんなさい…でも、いつもヴィンがおむかえにきてくれるから。だからきょうは、ぼくがヴィンをおむかえにいこうとおもったの」
小さな声が、一生懸命に気持ちを伝えようとしている。
その言葉に、ようやくヴィンセントは気がつく。
いつも自分がしていることを、この子はしようとしていたのか。
来る日も来る日も、飽かず子供を実験室へと連れ込む科学者たち。部外者が実験室へ近づくことに彼らは渋い顔をするが、ヴィンセントは必ずセフィロスが出てくる瞬間には、扉の前で待っている。
出てきた哀れな子供を抱きしめ、髪を撫でる。部屋へ連れて帰り、度を越した検査・実験で疲弊したセフィロスを寝かせる。
いつも、必ずしていることだった。
「セフィ…ありがとう」
それしか、言葉が見つからなかった。
やがて、子供用の小さな寝台の上、二人の安らかな寝息だけが、部屋に残る。
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