gallery≫novel
右手に花束、左手に君
a bouquet on a hand, an angel on the other
しゃきん、しゃきんと音がする度に、はらりはらりと銀糸が落ちる。
時折鋏を持つ手を止めて、全体のバランスを確認する。長さは揃っているか、その高さは水平か。
そしてまた、鋏を動かす。
庭の真ん中に置いた椅子に腰掛ける子供は、暴れもせず大人しくされるがままになっている。
腰のあたりまで伸ばされていた銀の髪は、今は小さな背の真ん中あたりで切りそろえられていた。
事の発端は昨日の「訓練」だった。
「実験」と併せてまだ幼いセフィロスに義務付けられていることの一つが「訓練」になる。
どんな大義名分があろうとも、それは結局のところ「戦闘訓練」でしかない。基本的な身のこなしに始まったそれは、最近では小型ナイフなどの武器を使用したものへと移りつつあった。
もっとも科学者たちにとってセフィロスは大事な「被検体」である。戦闘訓練といえども、そのために大事な「サンプル」を失っては元も子もない。従って「訓練」はあくまでセフィロスの安全面を第一に考えられたものではあった。
それでも、ある程度の危険が伴うのは当たり前であり――そもそも危機に対処してこその訓練でもある――いつまでもまったくの無傷のままにすむはずがないことは、いくつもの本格的な戦闘訓練を受けてきているヴィンセントには、認めたくはなくとも理解出来てしまうことであった。
しかし。
心のどこかで覚悟は出来ていたとは言え、そしていつか負うであろう「傷」が言葉通りの身体の怪我ではなかったとは言え……「訓練」を終え戻ってきたセフィロスの姿を見たヴィンセントは一瞬我を忘れ、ただ呆然と子供の姿を見下ろした。
「ヴィン?」
「……っ……!」
セフィロスに声を掛けられ、我に返ると、次にしたことはその小さな身体を抱き寄せ、身体中に触れることだった。
「怪我はないか?痛いところは?」と繰り返しながら。
ようやく怪我はないのだ、ただおそらくはナイフの切っ先が髪を擦っただけなのだろう、髪の一部が短くなっているだけだと解り安堵する。
長く伸ばされた――おそらくは一度も切ったことがないはずだ――銀の髪の一房が不自然に短くなったセフィロスをもう一度抱きしめ、ヴィンセントは深いため息をついた。
いつまでもこのままの姿は痛々しい。
そう思い早速髪を切り揃えてしまうことにした。
翌日の今日、ちょうど良い具合に、外は晴天の秋空だ。
庭と言えども勝手に外に出すわけにはいかないセフィロスの外出許可を取り、庭の中でも屋敷の敷地外からは目につかない一画にシートと新聞紙を敷き、その上に椅子を置く。
散髪用の鋏はプロジェクトの女性スタッフの一人が貸してくれた。切り揃えるだけならば自分がやろうかとも彼女は言ってくれたのだが、その申し出は丁寧に断った。
綺麗に仕上がるのならばそのほうが…とヴィンセントは考えたのだが、肝心のセフィロスが嫌がったからだ。
あくまで「ヴィンがいい」と言うセフィロスにヴィンセントは頬が緩むのを自覚しつつ「解った」と答えることしか出来なかった。
事前に心配していたほど出来上がりは悪くない。
生まれてこの方一度も切ったことのなかった髪はそれでも腰を覆う程度の長さだったのだが、散髪を終えた現在、背の中ほどの長さになった。切ったのはせいぜい十数センチ〜二十センチといったところだろうか。
前髪も切ってしまおうかと思ったのだが、長い前髪をセンターで分けて流した髪型はセフィロスに似合っていて、結局前は切らずに以前のままにした。
正面から見ただけでは、セフィロスの外見の変化はまったく解らない。
そんな出来上がりだった。
もっともセフィロス本人は鏡を渡されて、満足したように自分の姿を確認しているし、切ったヴィンセントとしても納得の仕上がりだ。
「よく動かずに大人しくしていられたな」
散髪の間自分の邪魔をすることなく椅子に座っていたセフィロスを褒め、以前より短くなった銀髪を撫でてやると、掛けていたケープを外し、椅子から下ろしてやった。
「ありがとう」
ヴィンセントを見上げセフィロスがそう言うと、再びヴィンセントはセフィロスの髪を撫で、
「片付けてしまうから、少し待っていてくれ」
と言った。
新聞紙とシートに散らばる銀糸の房は持ち主の身体を離れてもなお美しく、秋の柔らかな日差しをうけてきらきらと輝いているように見える。
この銀糸を塵として扱うことに強い抵抗を覚えたヴィンセントだが、だからといってこれで何をどうするというわけにもいかない。己の感傷を押さえつけ、いらなくなった新聞紙とともに片付けていった。
まもなく片付けを終えたヴィンセントがセフィロスの姿を探すと、庭の片隅にしゃがみ込んでいるのを見つけた。
そっと近づき、背後からのぞき込む。
「どうした?」
「ヴィン!あのね、きれいなんだよ。いいにおいがする」
どうやらセフィロスが見ていたものは、花だったようだ。もっとも花壇にきちんと植えられた花ではなく、庭の隅に咲く名も解らないような花だ。
それでも普段、屋敷の中で、花瓶に活けられた花ばかりを目にしているセフィロスには、根が地面に埋まった状態の花は珍しいものである。小さな指を花弁や葉に滑らせている。
決して庭の手入れを怠っているわけではないはずなのだが、庭のあちらこちらに咲く小さな花たちを嬉しそうに眺め、触れているセフィロスだったが、ふと思い出したようにしゃがみ込んだ姿勢のままヴィンセントを見上げた。
「おかたづけ、おわっちゃった……?」
それは取りも直さず、屋敷の中に戻らなければならないという事だ。
「あ、ああ……」
嘘を吐いても仕方がない。片付けが終わっていることは見れば明白なことで、だが一方、それをわざわざ口に出して問うたセフィロスの真意もまた明白だった。
このところ、急に日が短くなってきているが、日暮れまでにはまだ少し時間がある。
「せっかくだから……もう少し遊んでいていいよ。日が落ちるまでには戻らなければならないけれど」
次はいつ、外に出してやれるか解らない。そう思えば一層、セフィロスの希望を叶えてやりたかった。
「だいじょうぶ?」
己の置かれている立場を充分すぎるほどに理解しているセフィロスがそう問うてくるのに、無理矢理に笑顔を作り、大丈夫だよ、とヴィンセントは頷いた。
「ヴィン、これあげる!」
庭の花を愛でたり、樹を見上げ幹に触れたり、かと思えば鳥に近づこうとして逃げられたり、蜻蛉を追いかけたり……楽しそうに庭を駆け回っていたセフィロスが、その姿をぼんやりと見守っていたヴィンセントの元へと戻ってきた。
手にしていたのは小さな花だ。
先ほど、花を摘んでも良いかと聞かれ、花壇のものでなければ構わないと答えたのだったかと思い出す。どうやらセフィロスはヴィンセントのために花を摘みたかったらしい。
「良いのかい?」
わざわざ自分のために…と思うと自然と笑みが浮かぶ。セフィロスはうんと返事をして、手にした青い花を差し出した。
「ヴィンセント?」
花を受け取ろうとしたちょうどそのとき、聞き慣れた声がして振り向くと、予想通りの人物の姿があった。
「ヴェルド…どうしたんだ?」
同僚であり、友人でもある男の突然の登場にヴィンセントは驚き、立ち上がった。
上着がくいっと引っ張られ、見やるとセフィロスがジャケットの裾をぎゅっと握っている。何故かヴィンセントの背に隠れるようにしていた。
「仕事に決まっている……まぁ半分は、だな。それにしても珍しいな、外で遊ばせているとは」
よくあの連中が許可したものだと言うヴェルドに、別件で許可をとったついでだ、と説明し、
「仕事とは?半分とは何なんだ?」
と話の矛先を元へと戻した。
「今日が何の日か忘れたか?わざわざこうして来てやったんだが」
前半の質問は完全に流されたな、と内心思うがタークスの任務には同僚にも明かせないものも多い。仕方がないかと思いつつ、ヴェルドの言う「今日」が何のことなのかしばし考える。特に仕事上は、何か書類や報告書の類の締め切りだったわけでもないはずだし、時折入ってくるこの屋敷での任務とは別件の任務があったわけでもないはずだ。いくらなんでもそんな初歩的なミスはありえないと信じたい。
「わからないか?相変わらずだな、まったく……誕生日だろう?」
「…?」
「そうなの!?」
誰のだとヴィンセントが問うより早く、背後に隠れていたセフィロスが出てきて自分を見上げている。
「え……あ……ああ、そう、だったな……」
そう、他ならぬヴィンセント自身の誕生日だ。
ようやくそのことを思い出し、セフィロスに頷くと、それを見たセフィロスはずっと握りしめていたヴィンセントのジャケットの裾をぱっと離し、また庭の片隅へと走り去っていく。
「せ、セフィロス?」
「遊ばせておけ。…まぁそろそろ目出度いというような年齢でもないが、とりあえずプレゼントは持参してやった」
走り去ったセフィロスを目で追うヴィンセントの視界を遮るように、ヴェルドは取り出した封筒をひらひらと振る。
何の変哲もない茶封筒だが、逆にそれがヴィンセント達には特別の意味を持つ。即ち任務に関わる書類だ。機密情報の多い調査課においては、時と場合にもよるが社名の入った封筒より、無地のどこにでもあるようなものが使用されることのほうが多い。
これのどこがプレゼントなのだ……と無言で友人を睨み付けつつ、ヴィンセントは封筒の中身を取り出した。
予想通り、中から出てきたものは数枚の書類、そしてどうやら切符のようなものも同封されているらしい。一番上の書類に目を落とすと、それはいわゆる指令書であった。
任務内容は、「サンプルの運搬および護衛」のようだ。そして対象となる「サンプル」は……
「セフィロスを連れてこい、ということか?」
「そういうことだ。科学部の付き添いなしで、な」
「何故?」
「社長のご希望だ。科学者連中の目のないところで一度会っておきたいらしい」
「そう…か…」
表向きの任務はプロジェクトの護衛、暗黙の了解の任務としてプロジェクトの情報漏洩阻止、そして極秘の任務をもヴィンセントは負っている。科学部の報告だけを信用するわけにはいかないと判断した社長から直々に命じられているその任務は、科学部が隠そうとしているプロジェクトの暗部であり心臓部の調査・報告だ。
今このタイミングでこういう状況が訪れたということは、例の「訓練」の詳細を報告したことがきっかけだろう。
「それで。これのどこがプレゼントなのだ?」
自分の極秘任務をどこまでヴェルドが知っているのかは判断がつかない。先ほどは声に出さなかった疑問を口にして、無理矢理に話題を元に戻した。
セフィロスはまだ庭を歩き回っては、時折しゃがみ込んでいる。
「担当者の欄、見てみるんだな」
「担当ってお前だろう……なんだ、これは」
だからここに来たんだろうと思いながら書類の下部へと目をやると、担当者欄はなぜか空白のままだった。
「サインがないが」
「だからプレゼントだと言っただろう?あの子供を本社へ連れて行ってまたここへ戻ってくる。それがお前でも俺でも、どちらでも構わないとは思わないか?」
「それはそうだが」
しかしそんな大雑把な任務などありえない。担当者欄にサインの無い書類が通ることからして特別な事情がない限りまずありえないのだが……。
「上の許可は取ってきた。屋敷内の状況もあるからだとか、適当にごねてやったんだ。どちらが任務に当たるかは現地でお前と相談の上決める、と」
ありがたく思えよ、そう言わんばかりにヴェルドは皮肉を込めた笑みを浮かべる。
「出発は?」
「明後日だ。明日のうちに準備をして……というかあの子供にさせて、だな……屋敷の護衛の引き継ぎまで済ませろよ」
「引き継ぐのはお前で良いんだな?」
「ああ。お前が戻ってきたらすぐに返してやるが」
「ふっ……了解した」
後でサインをしなければと思いながら、書類を封筒へと戻す。
「ヴィン!」
会話が一段落ついたタイミングを待っていたのだろうか、セフィロスが駆け寄ってきた。
その手には、花束と呼んでも差し支えない程度の本数の花が握られている。
「おたんじょうび、おめでとう」
これあげる、と先ほどよりもずっと豪華になった花を差し出す。
セフィロスのポケットに入れさせていたハンカチだろう、リボン替わりに白い布で花達が束ねられている。何度もやり直したのだろうか、白いハンカチが多少泥で汚れてしまっているが、それが逆に微笑ましい。
受け取った花束は、普段贈呈に使う花束のように豪奢でも綺麗に飾り立てられたものでもなく、ただの野草と言っても差し支えない名も知らぬ花ばかりで、とても小さなものだ。
だが小さな子供が手ずから摘み、装飾を施し、手渡してくれたそれは、何よりも暖かく、染みいるものがあった。
「いいにおいがするんだよ」
同じ事を先刻も言っていたな、と思いながら、セフィロスの言葉に促されるように花束の香りを吸い込む。
鼻腔に広がったのは……花の香りではなく。
「おひさまのにおい、かな」
図らずもヴィンセントが思ったことと同じことをセフィロスが口にした。
「そうだな……私もそう思う」
「ぼく、このにおい、すきだよ」
滅多に外に出ることの出来ない子供。
生まれた時から、限られた生活を強いられている子供。
そして、いずれは……
「ありがとう」
どうやら昨日の出来事に、少なからず自分は傷ついていたらしい。
この生活が、この状況が、初めからどこかで破綻していることは解っている。
それでも、まだ、幸せは此処にある。
そろそろ戻ろねば、そうヴェルドに声を掛けて、セフィロスとは手を繋いだ。
もう片方の手には、花束と封筒、ふたつの贈り物を持って。