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夏が終わるその前に
Before end of the summer
その日は、とても暑い日だった。
夏もそろそろ終わりに差し掛かり、朝夕は涼しい風を感じることもある季節だが、真夏に逆戻りしたかのような、暑い暑い一日だったのだ。
暑いのは好きじゃない。
だから、オフだったのを幸いに、一日自室でゴロゴロしていた。
会社から与えられた部屋は一人で住むには広すぎて、いつの間にやら転がり込んできた男のおかげで今は二人住まいだが、たぶん二人で済むにも広すぎるのだろう。
普段は意識することのない、些細な事に気付いてしまうと、なんとなく落ち着かない妙な気分になった。
薄ら寒いような、肌寒いような、そんな気もする。
部屋の空調を効かせすぎたかと思い、リモコンに手を伸ばそうとしたちょうどその時、玄関の扉が開く音が聞こえた。
「ただいまー」
明るい声と共に、三日ぶりのザックスの姿が現れて、ついでに外の熱気までもが室内に運ばれてきたように思えた。
手を伸ばした先のリモコンには結局触れず、そのまま指先をザックスの方へ伸ばす。
「ご苦労」
「なんだよそれ」
眉尻を下げて情けなく笑ったザックスが、伸ばした指先を絡め取る。
ただいま、ともう一度小さく呟くと、指の先に口付けられた。
「これは?」
ザックスがフローリングの上に放り出した荷物は、もちろん私物もあったのだが、大半が食材やら日用雑貨の類だった。帰還報告の後、買い物をしてきたのだろう。
事実、セフィロスの部屋の冷蔵庫は、数日前ザックスが出ていった時から中身はまったく増えていない。そろそろ空っぽになるな、と思っていたところだった。
こういったことに対するザックスの予想はとてもよく当たる。だから、ザックスはすごいな、とセフィロスはよく思う。
野菜やハム、果物など様々な食材の詰め込まれた袋から、明らかに食物ではないであろうパッケージが飛び出していることに気付いた。
「ああ、土産」
「……?」
手に取ってみると、四角く、薄っぺらいビニル袋の中には、色取り取りの極細い筒状の紙らしきものが並んでいる。細い木製の棒がついているものもあるし、こよりのようなものもある。
「いや、まぁ土産ってのは冗談だけど。買い物したら貰ったんだよ、花火」
「ああ、これが」
神羅主催の花火大会などというイベントは毎年夏にあったし、カウントダウンパーティという名目で真冬に打ち上げられるものも見たことはある。
だが、こうした玩具の一種として売られている手で持って楽しむタイプの花火を目にしたのは初めてだった。
「子供連れならともかく、なんで俺なんかにくれるかなーとか思ったんだけどさ、せっかくだから貰ってきたんだ」
「……初めて見た」
「そ?んじゃあ良かったのかな。メシ喰ったらやろう」
俺も久しぶりだし。そう言いながらザックスは笑った。
三日ぶりに一緒に食べる食事は、とても久々にまともな食事だったような気がした。
たぶん気のせいではないだろう。ザックスの留守中は、出してそのまま食べられるようなものしか食べていない。
こういう時にも、やはりザックスはすごいなと思う。
殊、日常生活においては、ザックスに勝てる気がまったくしないセフィロスである。
夕飯が終わると、ザックスはキッチンで洗い物を片づけた。特に手伝えることもないので、セフィロスは隣でそれを眺めている。
ぼうっとザックスの手際を見ていると、あっと言う間に一通りの後片づけが終わり、今日も何も手伝えなかったなと思いつつ、せめてタオルくらいは手渡してやった。
「サンキュ」
と笑顔で礼を言われても、どう返事をしたら良いのか解らなくて、曖昧に頷いた。そしてくるりと踵を返し、キッチンからリビングへ移動する。
すると背後から、
「じゃあ、やるか!」
とザックスの明るい声が聞こえた。
何をだろうと怪訝に思い、キッチンを振り返る。
「花火、後でやろうって言っただろ?」
なるほどそういえば。先刻のやりとりを思い出す。
「しっかし、どこでやるかなぁ……」
「普通は屋外か?」
「うーん、火薬バチバチ言わせるし、部屋ん中じゃ無理だな……でも、外っつってもなぁ」
さすがに公園で男二人で花火ってのは無いなぁ、とザックスがぼやく。
こういうことに関しては、ザックスに任せる方が確実なので、余計な口は挟まず、待つことにする。
腕組みをして引っ張りだした花火の袋を睨んでいたザックスだったが、ふいに窓の方へと視線を移し、あっと声をあげた。
「ベランダで良いじゃん、広いし」
二人で住んでも尚広いと思えるこの部屋のベランダは、当然のことながら、部屋同様やはり無駄に広い。
さらに、そこそこの上層階に位置する部屋なので、当然ベランダからの眺めは大変に良い。しかし、執務室のほうがこの部屋より上層階にあるので、眺めの良さという点でも執務室の方に分があり、この部屋のベランダから外を眺めるなどという風流な使い方はほとんどしたことがなかった。
花火と、大きめの空き缶に水を張ったものを持ってベランダへ出たザックスの後に続いて、ガラス戸の向こうへ出る。
風に舞い顔にかかる長い髪が鬱陶しくて、右手で押さえる。
昼間は酷く暑いと思ったが、さすがに日が落ちると風が涼しい。やはりもうもう夏も終わりなのだなと思う。
「あー……ちぃーっと微妙だな」
「何がだ?」
「風」
だいたいいつもこのくらいの風は吹いているものだが、それが何か問題なのかと思い、ザックスの顔を見る。
「まぁこんだけ高けりゃ、そりゃビル風すげぇよな……忘れてた」
「?」
「こーゆーこと」
煙草を取り出したザックスは口に軽くくわえ、ライターを取り出し、カチカチと火を点けようとする。
「ああ、なるほど」
ビル風に煽られ、ライターの炎はあっと言う間に吹き消されてしまう。
「どーすっかなー……お!」
ザックスは火の付かなかった煙草を掌でくしゃりとつぶしながら考え込んでいたが、急に大きな声を上げた。
「どうした?」
「あるじゃん、良いトコ。この時間だし、今日ならたぶん大丈夫だろ」
花火と空き缶を手に鼻歌を歌いながら歩くザックスの後をついていく。
部屋からは出たので、てっきり外に行くのかと思ったが、連れて行かれた先は、この本社ビル内の、しかもお馴染みのソルジャーフロアだった。
そういえば確か、昨日から2ndを中心に大規模な演習をやっているとかいう話を聞いた気がする。さらに午後9時近い時間ということもあり、フロアは閑散としていた。
数名のソルジャーとすれ違っただけで、トレーニングルームの前に出る。
「おぉラッキー!やっぱ誰もいないな」
中に入ると、予想はしていたが、やはり無人であった。
「ここなら花火くらいの火はOKだろ」
「まぁ……おそらくは」
一応、この部屋は、ある程度の魔力とそれに付随する火力等に耐えうる作りにはなっている。
そういう意味では、ザックスの言う通り、「OK」なのだろう。もちろん、ここで花火をしようという行為自体の問題の有無はともかく、だが。
「トレーニングルームじゃ、ちょっと色気に欠けるけどなー」
「そういうものか?」
「そういうモンだよ。……あ、そうか、適当にどっかのフィールド設定すりゃ良いんだよな」
「……」
「なんかすっげぇ便利だな、ココ。なぁ、どこが良い?」
どうやら、ザックスはトレーニングルームの新たな使用方法に目覚めたらしい。
しかしどう考えても本来の使用目的からは外れているわけで、一応上官にあたる立場のセフィロスとしては、あっさりと話に乗るのに躊躇するものがある。
コントロールパネルに取り付くザックスの背に、ぼそりと答える。
「どこでも……」
「じゃあ、ベタだけどコスタにしとくか」
そう言うや否や、瞬く間に周囲の景色が一変した。
だだっ広い、無骨な四角い部屋が、たちまちに常夏のビーチに早変わりだ。
さすがに潮風の匂いはしないものの、波の音は聞こえる。
「どれからやりたい?」
砂浜の上にしゃがみ込んだザックスが、袋から取り出した花火を並べながら、上目遣いに聞いてくる。
「どれと言われても……何がどう違うんだ?」
「いや、ほとんどどれでも同じ。微妙には違うけど。でも、やってみるまでわかんねぇし」
「だったら……」
わざわざ聞くな、と言おうとしたが、それも馬鹿馬鹿しい気がしたので、結局皆まで言わず、適当な花火をひとつ手に取った。
棒の先に付いているカラフルな紙の筒、さらに金モールのような飾りまで付いていて、まさに子供の玩具に相応しい派手さだ。
「とりあえずさ、やってみたら?」
砂に浅く穴を掘り、立たせた蝋燭にライターで火を点けると、それを指し示しながらザックスが言う。
促されるままに、蝋燭のそばにしゃがみこむと、花火を炎に近づけた。
じゅっと火薬が火を噴く音がして、同時に焦げた匂いが鼻をつく。
パチパチと黄色い火花が現れては消え、やがて赤い火花へと変わっていく。
正直なところ、火薬の焦げた匂いと共に思い出すものといえば、とても凄惨な光景ばかりで、お世辞にも印象の良いものとは言えない。
赤い火花はやがて徐々に小さいものになり、パチと小さな音と共に最後の火花が消えてしまった。
あっという間なのだなと思う。
もうひとつ、今度は紙の筒だけで出来ている花火を手に取った。
火を点けると、シュウシュウと音を立てて、流れ星の尾のような火花が生まれる。
黄緑から淡青色のカラフルな火花、そして嗅ぎ慣れた火薬の匂い。
慣れた匂いだけれど、見慣れない風景に、こういうものもあるのだということを知る。
「楽しい?」
頭上から声を掛けられて、見上げるとザックスが笑っていた。
「悪くない」
少し笑ってそう言うと、俺もやるぞー!と妙な気合いを入れてザックスが隣にしゃがみ込んだ。
「あー!なんかすっげぇ楽しい!」
やがて、火を点けた花火を両手に持ったり、最後には振り回したりと、ザックスが気儘にはしゃぎ始めた。げらげらと笑いながら次々と炎の花を咲かせていく。
流石にザックスのような真似は出来なかったが、それでも蝋燭の脇にしゃがんだまま、セフィロスも次々と花火を手にしては火を点けていった。
元々、買い物ついでの貰い物だ、大した数ではなかった花火は程なくすべて、空き缶の中で燃え滓となってしまう。
「締めはコレだな」
全部終わったものだと思っていたら、ザックスがこよりの束のようなものを取り出した。
「線香花火。花火の締めはコレって決まってんの」
「そうか」
ほれ、と渡された一本を蝋燭の炎に近づけると、チリチリと微かな音を立てて、か細く小さな火花が散り始めた。
先ほどまでの花火と比べると、随分と小振りだ。色も黄金色一色きりで、とても地味である。
やがて、こよりの先に玉が出来、そこを中心にパチパチとか細いながらも最初よりは大きな火花が弾ける。
突然、息苦しいなと思い、あまりに繊細な花火に思わず息を詰めていたことに気付いた。
ふうっと息を吐くと、手元が揺れ、花火の先に出来ていた玉が、ぽとりと落ちる。
「あ」
思わず間の抜けた声をあげてしまった。
蝋燭の向こう側にセフィロス同様しゃがみこんでいたザックスが、ぷっと吹き出す。
「揺らしたら落ちるんだ」
「なるほど」
「でも良いだろ、これ。雰囲気あって」
「締めがこれだというのは、何となく解る気がする」
「だろ?」
何故か得意げににやりとザックスは笑うと、次の一本を手渡してくれる。ザックス自身も一本手にして、それでさ、と口を開く。
「どっちが長く続けられるか勝負するワケよ」
「勝負?」
「そー。男と男の真剣勝負」
どこかふざけたような口調ではあるが、どうやら本気でやるつもりらしい。
「負けた方は、勝った方の言うこと聞くってことで」
「やるのか?」
「おうよ」
いっくぜー!とザックスは気合いを入れる。
とりあえず、揺らさなければ玉は落ちない。落ちなければ花火は終わらないのだろう。シンプルだが、こういうのは割と得意だと思う。本気で真剣勝負とは思ってはいないが、それなりにセフィロスは負けず嫌いだ。
せーの、で二人同時に蝋燭から火を点ける。
先刻の馬鹿騒ぎが嘘のように、沈黙が落ちた。
チリチリ、パチパチと火花の散る音、そして人工の波のザザという音だけが妙に大きく響く。
「俺が勝ったら、さ」
沈黙を破り、ザックスがセフィロス、と小さく声を上げた。なんだ、とやはり小さく答えると、火の玉を落とさないようにだろう、囁くような声で話を始めた。
「部屋に、戻ったら。アンタに、アレ、やってもらうからな」
「アレ?」
にっと笑うザックスの表情に、何故か妙に気恥ずかしくなってくる。
「そ。三日ぶりなんだぜ?だから……」
「な……っ!?」
ぽと、と火の玉が砂の上に落ちた。
「よっしゃ!俺の勝ち!!」
「卑怯だ」
「どこが?」
「だって」
「だって、何?俺が何してって言うと思ったの?」
思いついた「アレ」はとても言葉に出来なくて、にやにやと笑うザックスが無性に憎らしく見える。
「なあ、何してくれるつもりだったの?」
「うるさい」
「俺としては、アレをお願いするつもりだったけど、べつにそっちでも良いかなー」
「そっちって何だ」
「いや、だからそれを聞いてるんじゃん、俺」
「絶対教えない」
「ケチ」
卑怯者のくせに、と言い返そうかと思ったが、そんな単純な罠に引っかかったことも恥ずかしくて、結局言えなかった。
代わりに、さっさと勝者の言い分を聞いてやることにする。
「早く何をすれば良いのか言え」
「おかえりって言ってよ」
「…………」
「三日ぶりだからさ、おかえりって言われたい」
「そんな……こと、は……」
確かに、おかえりと言った記憶はなかったけれど、それは別にわざとではなくて。
「だめ?」
どうして良いのか解らなくて俯くと、顔を覗かれた。
「部屋に戻ってから……で……」
「うん、良いよ」
顔を覗いたまま、ザックスが笑う。
「よーし、遊んでたのバレないように片付けるかぁ」
気がつくと、周囲はいつの間にか、元の殺風景なトレーニングルームに戻っていた。