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2012ヴァレンタイン小話(限定公開中)

「あら、カイン。ちょうど良かった」

今、呼びに行こうかと思ってたの、そう言ってローザが微笑む。
バロン城内、国王たるセシルの執務室の前で、ばったりと出くわした彼女は、その手に籐で編まれたバスケットを手にしていた。
カインの目の前を横切り、先に室内へと入っていく彼女からは、ふんわりと甘い香りがする。ローザがいつも纏っているものとは違う香り。香水などの類特有の人工的な香りではなく、砂糖や蜂蜜のような自然な甘さに似ている。
そんな彼女に続いて、カインが室内へ入っていくと、中にはセシルだけでなく、セオドアも共にいた。軽く手をあげ、挨拶をする。

「そろそろ休憩にしない?」

ローザは夫と息子に言いながら、手にしてバスケットをテーブルの中央に置く。
(……これは……)
嫌な予感がする。
カインはわずかに後ずさる。
予感というより、確信に近い。バスケットの中身に、察しがついてしまった。
かつて、これと似たようなことが――何度もあった。
(逃げるなら、今のうち、か……)
ソファに座ってしまえば、間違いなく退路は断たれる。いや、今ここで急用を思い出したと言い出すのも、かなり至難の技ではあるのだが。だが、しかし。
知らず泳いだ視線が、セシルと合う。

「いつまでも突っ立ってないで、座ったらどうだ?」
「……あ、ああ」

ローザをちらりと見ると、一点の曇りもない笑顔。ここでカインが帰ると言い出せば、彼女は残念がるのだろう。それが解るから、結局は、腰を下ろしてしまった。
本当にこの二人には敵わない。いつもカインは流されてばかりいるような気がする。最近は、二人の子であるセオドアにも押し切られることが多い。
(まだまだ修行が足りんのか……?)
心の中でぼやきながら、天を仰いだ。
そんなカインにセシルが首を傾げる。

「どうしたんだ?」
「いや、なんでもない」

答えながらカインは思う。おそらく今後の展開において、この親友はまったくアテにはならないだろう。そうそう、変わるとも思えない。
ローザがバスケットの中から、何かを取り出す。同時に、甘ったるい香りが漂う。

「あのね、ケーキを焼いてみたの」

(やはり、そうきたか)
逃げ出したい気持ちでいっぱいになりながら、テーブルの上に置かれた黒い物体を見遣る。見た目は、普通のチョコレートケーキである。だが、カインにはこれはケーキなどではなく、「黒い何かの物体」にしか見えない。

「わあ、すごい!」

歓声を上げたのは、セオドアだ。訝しげに思いながら、カインはセオドアの顔を盗み見る。セオドアが喜ぶ、ということは、まさかとは思うが、この十数年の間に、何か奇跡でも起きて、劇的にローザの料理の腕前が向上したのだろうか。
そう、ローザはとにかく料理が出来ない。
そもそも、上級貴族の家に生まれているのだから、自ら料理などする必要があるはずもなく、仕方がないと言えば仕方がない。だが、学校に通うようになり、それほど裕福でもない家の娘とも付き合いが出来るようになると、『お菓子作り』なるものに手を出すようになった。当然、出来上がったものを、彼女は喜々として、セシルとカインの元へと持ってくる。だが、その出来はと言えば……。ケーキにクッキー、パイ、タルト、種類は様々だったが、味に関しては、どれも一様の感想しか、カインの記憶にはない。

「昔はたまに作っていたんだけど…あなたが生まれてからは初めてかしら」

(なんだと……)
淡い期待は無残にも打ち砕かれた。セオドアが喜ぶのは、その味を知らないから、ということだったようだ。

「何故また急に、こんなことを……」

失意のあまり、思わず本音が口に出た。

「この間ね、ちょうどあなたたちがいなかった間に、リディアが来たの」

彼女は手土産に、自分で焼いたというケーキを持ってきたらしい。その味が気に入り、レシピを教えてもらったのだ、という話だった。

「甘さ控えめで、美味しかったのよ。ねぇ、セシル?」
「ああ、うん。そういえば、リディアから教わっていたな」
「せっかくだから、みんないる時にと思って。それで今日作ってみたの」

にこりと笑顔で言われてしまえば、カインには最早もう何も言うことがない。
ローザは話しながらも手際よく、やはりバスケットから取り出した皿に、切り分けたケーキを載せていく。ナイフを持つ手に危なげない様子はない。
決して、彼女は不器用なわけではないのだ。ただ、致命的に料理のセンスがないだけで。

「母さんは?」

テーブルの上に置かれた三枚の皿を見て、セオドアが言う。

「作っている間中、ずっと甘い匂いを嗅いでるでしょう?そうしたら、それだけでお腹いっぱいになっちゃうのよね」

かつても同じ事をいつも言っていた、と思い出す。限りなく苦い記憶だ。せめて味見をしてくれ、と思うが、結局本人に言ったことはなかった。言えるはずがない。

「どうぞ、召し上がれ」

ローザの笑顔が眩しい。
(こうなっては仕方がない)
カインは己に言い聞かせながら、皿を手に取る。

「いただきます」

男三人の声が重なる。
カインが最初の一口を運ぶより早く、隣に座るセオドアが、威勢良く、ケーキを大きく頬張った。

「どう?美味しい?」

母親に感想を求められたセオドアの顔を、カインも盗み見る。

「んー……確かに甘くはないですね」
「セオドアにはもう少し甘いもののほうが良かったかしら」

笑う母に、もう子供じゃありません!とセオドアが頬を膨らませる。そんなやり取りを微笑ましそうに見ていたセシルも、

「確かに甘くはないけれど。美味しいよ」

と言う。
(お前の意見はアテにならん)
セシルの味覚は絶対におかしい。
ローザの料理センスと同じくらいに信用出来ないと、カインは思っている。ローザの作るものを美味しいと言うセシルのことを、最初は彼女に気を遣っているだけなのだと思っていた。が、いつも顔色一つ変えずに食す親友に、ある日「ローザの料理をどう思うか」と彼女のいないところで聞いてみたことがある。果たして、帰ってきた言葉は、「あんなものなんじゃないか?」の一言だった。だが、そんなレベルの味ではないのだ。カインの味覚がおかしいわけでは決してないはずだ。
悲壮な覚悟で、黒い物体を口へ入れる。

「カインは?どうかしら?」
「……っあ、ああ……」
「美味しい?ちょっとお砂糖、控えめにしすぎたかしら?」

何とか、口の中のものを飲み込む。

「い、いや……そんなことはない、と思うぞ」

やっとの思いで、それだけを口にすると、良かった、とローザは笑った。

「あら……忘れてたわ、お茶入れてくるわね」

三人それぞれから感想を聞いて満足したのだろう、彼女がすっと立ち上がり、部屋から出て行った。


「お前たち……本当に親子だな……」

ローザの足音が聞こえなくなった頃、ため息と共にカインが吐きだしたのは、その一言だった。セシルの味覚も相当鈍いが、しっかりとそれはセオドアにも受け継がれたらしい。

「なんだ、急に」
「いや、つくづくそう実感しただけだ」
「……?おかしなヤツだな」

ローザの作ったケーキは、『甘さ控えめ』などという生易しいものではなかった。とにかく苦い。咳込まなかった自分自身を褒めてやりたい、と思う。
(それで、なぜこんなに匂いだけが甘ったるいんだ……)
一体、どこに砂糖が使われているのか本気で悩むほどに、甘さのかけらもない菓子。部屋中に漂うこの匂いがどこから来るのか心底不思議でならなかった。
次々とケーキを口に運ぶ親友とその息子を見遣り、そっとカインはため息をついた。
やがて、ローザが部屋へと戻ってきた。
その直前に、無理矢理空にしたばかりの皿に代わり、紅茶の入ったカップが置かれる。カインは、すぐさまティーカップを手にすると、一気に喉に流し込む。

「……っ……ぐッ」

今度は、我慢するまでもなく咳込んでしまった。

「ちょっと……やだ、カイン大丈夫?」

淹れたばかりなんだから熱いに決まってるじゃない、と言いながらも、ローザとセシルが心配そうに顔をのぞき込んできた。

「エスナ要ります?」

と尋ねるセオドアに、大丈夫だ、と首を振った。なんとか平静を取り戻すと、すまん、と心配してくれた三人に謝罪する。口の中が痛い。
気をつけてね、とローザは言いながら、セオドアのカップに角砂糖を二つ落としてやる。そして、

「そう、近いうちに、今度は甘いもの作ろうかしら」

さらりと恐ろしいことを彼女は口にした。

「それは楽しみだな」

応じるセシルが、真剣に恨めしい。セオドアも笑顔で頷いている。
(本当にこの親子は……)

「カイン、本当に大丈夫か?」

がくりと肩を落としたカインに、セシルが気遣う。普段は誰より頼もしい親友が、この時ばかりはあまりに無力で、

「……ああ、大丈夫だ……」

と頷くのが精一杯だった。

(……しばらくまた山にでも籠もりたい……)
試練の山が、懐かしく思えた。

2012年2月のFFオンリーイベントで無料配布したコピー本からの再録です。
ホワイトデーまでの限定公開です。

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