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光射す道
@DFFOO 2章2部
視線の先では、白銀の鎧姿のセシルが笑っていた。
ふわりと銀色の髪が揺れる。
見慣れた姿という意味では、カインにとっては暗黒の鎧を纏っていた頃のセシルのほうが見慣れてはいるかもしれない。単純な付き合いの長さの年月で言えばそちらのほうが圧倒的に長い。
だとしても、不安定な、そして不自然な記憶や力の失い方をしていたことを思えば、それは決して許されることではなく、ようやく本来の姿を取り戻せたという事実に安心していた。
何よりもカインは、セシルの笑顔に安堵を覚える。
記憶を失くしていたころに比べて、その表情はずっと明るく柔らかい。
飛空艇を誰が操縦するかという言い争いは、カインら地上を探索していたメンバーが飛空艇に戻った後もなお決着していない。
この世界で、セシルが比較的親しく会話をする機会が多かったのが飛空艇に関わるメンバーだったらしいことは、一行と合流してしばらく見ているとすぐに解った。
そんなセシルにとっての「同志」達の口論に、セシル自身は加わる気はないようだが、傍で苦笑しながらなりゆきを見守っている。
ようやく戻ってきた、この世界における日常の平和な風景にカインもふっと笑いを零す。
ここでは部外者の自分がこの口論に付き合う理由もない。
事態も一段落し、セシルの様子も落ち着いているようだ。
これ以上ここにいても仕方がないと判断し、カインは一人そっと操縦室を後にした。
飛空艇の内部は思っていた以上に広い。
かなりの大人数での旅になっている訳だが、その人数を収容できる時点で、カインが知っている飛空艇よりもずっと大きなものになるのは必然ではある。
これを意志の力で生み出したというのだから、作った男の実力には、悔しいが感服するしかない。
ある意味では血縁であるセシル以上に、カインにとっては因縁の深い相手だ。素直に実力を認めるのは少々癪ではある。
そんなことを考えながら通路を歩いていると、
「カイン!」
と背後から聞き慣れた声で呼び止められた。
聞き慣れてはいるのだが、その響きは随分と久しぶりに聞いた温度のような気がする。
立ち止まり振り向く。
「どうした? まだ揉めているようだったが」
「本当にみんな飛空艇のことになると熱いからな……そのうち適当なところで落ち着くと思う」
「お前はいいのか?」
記憶を取り戻す直前にも、あの女海賊から聞かれていたことと、敢えて同じ問いをぶつけてみた。
「後で機関室はゆっくり見てみようと思ってる」
あの時とは違った顔でセシルが答える。
動かすほうよりは、仕組みのほうに興味があるらしい。いずれにせよ、飛空艇そのものに対する感情すら否定しようとしてた以前とは随分と印象が異なる。
「そうか」
セシルの表情につられたのか、思った以上に明るい声になり、カイン自身少し驚いた。
そんなカインに気付いたのかどうか、セシルは周囲をそっと見回しながら呟く。
「……これを作ったのはあの人だから……僕らが知っている飛空艇に少し似ている気がする」
「確かにな」
前に乗っていた飛空艇は随分と高度な技術が用いられていたのか、カインにとっては魔法仕掛けのようにも思えるものだった。強いて言うならば、月の民の技術が用いられていたゾットやバブイルの塔に対する印象に似ていた。
「それよりも……お前と、ちゃんと話を……したくて」
やや逡巡しながらセシルがそう切り出す。
「俺と?」
「ああ。ずっと話さなければと思っていたのに……すまない、結局、後回しにしてしまった」
記憶を取り戻し、その直後はセシルや同じく記憶を失っていたヤンやエッジも随分と混乱しているようだった。
さらにセシルにはそこに追い打ちをかけるように兄との対立や葛藤といった様々なことが降って湧いた。
「いや、色々とあったからな。それは気にするな」
後回しになるのはある意味当然だった。そうなるように仕向けていた部分があるのだから。
敢えてカインは、記憶を取り戻したセシルと直接関わることを控えていた。
記憶を失っていた間のことをセシルが後々気にするであろうことは、以前から予想していた。殊にカインとの関係が気まずいものだったことは、ここにいる全員が知っていたと言ってもいいほどに明らかなものだった。
だが、カインとしてはそんなことよりも、セシル自身のことをまずは優遇して欲しかったのだ。
もちろん、手助けが必要な場面ではすぐに守れるような距離にはいた。
けれども直接声を掛けたり、助言をすることはせず、敢えて一歩引いた場所から見守ることにしていた。
この世界で得た仲間たちは、環境の違いのせいなのか、それぞれ本当に様々な立場や価値観を持っている。
セシルの悩みに多くの助言が与えられるのを見守りながら、そこから何か新しい答えが見つかればいいとカインは願っていた。その願いはほぼ成就したと言っていいだろう。
「……ここで立ち話も何だな。甲板に出るか」
セシルの真剣な表情を見つめ、カインはそう提案してみた。
まだこの飛空艇の作りの全体像を把握出来ていないのだが、他の仲間たちが集まっている場所に行くよりも、二人だけで話が出来る場所のほうが良いだろうという判断だった。
「ああ」
ほっとしたようにセシルが頷くのを見て、並んで歩き出した。
甲板に出ると強い風が吹き抜けていく。
一般的には落ち着いて会話をするような場所ではないのかもしれないが、飛空艇団と竜騎士団、共に空を舞台にしていたセシルとカインにとっては、逆に慣れた場所だった。
流れて行く景色を見つめる。
随分と遠くはなったが、後にしてきた方角を見れば、元の世界と同じ霊峰の影がまだ見えた。
あそこで記憶を取り戻して、それからずっと考えていた。
隣に立つカインにセシルは向き直る。
「本当に今更だけれど……」
すまなかった、とそう続けようとした。
だがそれより早く、カインがふっと笑いながらセシルの言葉を遮った。
「謝るなよ」
「え……っ」
「記憶がなかったんだ、当然のことだ。お前が謝るようなことじゃない」
「いや、でも……」
だからと言って許されることではないだろう。
この世界でカインと再会してから、セシルはどれだけ彼を傷付けるような言動をとったことか。
ずっと心を閉ざして、拒絶するような態度を取り、時には言葉に出して理不尽な不満をぶつけていた。
「元々のきっかけは俺にある。お前が記憶を無くしていたからと言って俺に謝るのならば、そもそも俺のほうが利用されたとはいえお前を傷付けてすまなかったと謝らねばならないだろう」
その謝罪はすでに元の世界で受け取っている。今のセシルはそれを覚えている。
二度同じ事で彼に謝罪を強いるのはセシルの本意ではない。
それがカインも解っているから、こんな言い方をするのだろう。
相変わらず彼はどこまでもセシルに甘く優しい。
伝えるはずだった謝罪の言葉を封じられ、セシルはしばし逡巡する。
そうして考えた末に口を開いた。
「……逃げるなってことだったのかなって、今は思うんだ」
「うん?」
突然のセシルの言葉にカインが怪訝な顔をする。
「僕は、この世界に来る時に、自分で記憶を捨ててきた」
「ああ、そんなことを言っていたな」
「責任だとか後悔だとか、そんなものを放り投げて、一番楽しかった頃に戻ろうとしたんだ。夢が叶った頃……騎士になって、赤い翼を任せて頂いて、ようやくお前の隣に立てた頃。まだ陛下もご健在で、お前と一緒に毎日任務に奔走して……」
その頃にももちろん背負っているものはあった。
一つの部隊を任された責任もあれば、暗黒の力を受け入れたことに後悔がまったくなかった訳でもない。
それでも、セシルにとっては思い出の中の輝かしい、誇りと希望に満ちた日々だった。
「懐かしいな」
そうぽつりと言ったカインの横顔には、言葉どおり懐かしさ故なのか、ほんの少しの哀愁がそこには混じっていた。
「本当にその頃の僕に戻れていたら……きっと僕は、前に進みたいとは考えなかったはずだ。たとえお前が、僕には失くしているものがあると言っても、何も不都合はないんだからこのままでいたい、このままでいいって失くしたものを探そうともしなかっただろうと思う。それは、逃げ続けていることと同じだ」
実際には、それほど都合のいい状況にはならなかった。
「でも、結局僕が置いてきた記憶はとても中途半端で……戻りたかったのはお前と一緒にいた頃の僕だったのに、実際にはお前と一番遠かった頃に戻ってしまった」
「確かに……そうなるな」
「ずっと苦しかった。もちろん、僕に理不尽なことばかりぶつけられたお前のほうが辛かっただろうけれど……でも、僕も」
「いや、俺は最初から知っていたからな。お前が記憶を無くしているらしいことも知っていた。だからお前に会う前にある程度の覚悟はしていたんだ。そういう意味では、混乱した分お前のほうが苦しんだはずだ」
だから気にするなとカインは言う。
そんな彼に優しさにずっとセシルは甘えてきた。
「お前との関係を何とかしたかった。それが苦しくて……前に進みたかった。失くした記憶の中にあるという罪や後悔よりも、あのままずっとお前の隣にいられないことのほうが、怖かった」
だからあの時、カインがくれた言葉が、どれほどセシルにとっては心強かったのか、彼は気付いているだろうか。
「一人で背負わなくていいんだって、お前に……みんなに言われて、それが本当に……嬉しかった」
カインもまたたくさんのものを背負っていると彼自身が言っていた。今は、それを隣で支えられる存在でありたいとセシルは思う。
「ありがとう」
口に出して初めて気付いた。
謝罪の言葉よりも、伝えたかったのは感謝の言葉だったのかもしれない、と。
「俺は大したことはしていない。……仲間に恵まれたなとは、今回様々な場面で改めて思ったが」
「そうだな。この世界に来て良かったと今は思ってる」
この世界で多くの仲間を得て、さらには元の世界では機会を逸していた事と向き合う時間を与えられたようにも思うのだ。
「これからどうするつもりだ?」
カインが問う。
もっともその答えを彼はとうに知っているようにセシルは思った。
「せっかくこんな形でチャンスというか、時間を得られたからな。あの人の……兄さんのことをもっと知りたい」
きっぱりとそう答えたセシルに、カインはそうかと頷き、何かを思いだしたように目を伏せた。
「すまなかった。出来ればお前達が直接争うような事態は避けたいと思っていたんだが……結局戦わせてしまったな」
「いや、それこそ気にしないでくれ。お前のせいじゃないんだから」
そこまで考えていたのかと、少々驚いてしまった。
本当にセシルのために、カインはどれだけの尽力をするつもりだったのだろう。
「あいつがああ強情だとは、な。まぁお前の兄貴だから仕方がないのかもしれないが」
そう言ったカインの口調は少し笑っている。
「似てる似てるってみんなに言われるんだよなあ……」
セシル自身はまだ兄のことをどう捉えていいのかが解らないのだ。
「そんなに似ているのかな?」
少なくともセシルよりはカインのほうが兄に接する機会は多かったはずだ。
だが、どうだろうな、とカインは笑いながら明確な答えは出さなかった。
「兄弟ってどういうものなのか、それがまだよくわからないんだ」
「それを俺に聞かれてもな……俺には兄弟はいないからな」
「でも僕達は兄弟みたいなものだったろう?」
一つ年上のカインはセシルにとっては兄のような存在だった。
カインもそれは自覚していただろうと思う。だからこそこんなにもセシルの世話を焼いてくれるのだ。
「まあ……それはそうだが」
「お前との関係をそのままあの人に置き換えて考えてみたりもしたんだ。でもやっぱり……しっくりこないんだよな」
セシルは首を捻る。
それで結局は兄弟とは何なのだろうという疑問に戻ってしまうのだ。
もっともカインとの関係を見つめ直す機会にもなったのだが。その上で今こうして彼と話をしようと思ったのだ。
「俺とあいつは別の人間だからな。それは仕方がないんじゃないか? 随分歳も離れているようだしな」
そう言われて初めて気付く。兄の年齢すらセシルはまだ知らない。
改めて知るべきことはたくさんあるのだと思う。
「僕はどうしたらいいんだろう」
そうだな、とカインは少し考え、ふっと笑った。
「お前の兄代わりだった立場からひとつ言えるとしたら」
「言えるとしたら?」
「弟の我儘というのは悪くはないぞ」
「えっ……我儘?」
確かに昔から、セシルが我儘を言う相手はいつもカインだった。
カインから見れば、セシルは我儘な弟そのものだったろう。
ずっとカインにしてきたように、兄に甘えてみろと言うことだろうか。
「あいつもお前の世話を焼くのは満更でもないようだしな。わかりにくいかもしれんが」
「そういえば僕に会う前に、兄さんと会っているってお前言ってたな。もしかしてお前が僕のところに来たのは、兄さんと……?」
試練の山へ誘導されたことといい、おそらくセシルの知らない部分で、兄やカインは自分のために動いていてくれたのではないだろうか。
「あいつの頼みでもあったが……俺自身の意志だ、お前の傍にいたのはな」
当然だろう?と言う彼の笑顔にセシルも笑い返す。
飛空艇の甲板に吹き抜ける風、眼下に広がる大地の景色。
隣には親友が居て、同じ未来を見つめている。
セシルがずっと望んでいたのは、そんな光景だった。
「僕の願いは……やっと叶ったんだな……」
小さく呟いたその言葉は彼にも届いたのだろうか。
くしゃりと髪を撫でられた。
少しだけ背の高い親友を見上げて笑う。
失くしていた光はこんなにも眩しくて暖かい。
いつかその光は兄にも届くだろうか。
セシルがこの世界で目指す道を、隣で一緒に歩んでくれる親友がいる。
もう二度と失わずに済むように、この光を大切に抱いて行こうとそう思った。