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la siesta
2013ヴァレンタイン小話
窓の外は雲ひとつない晴天だ。
春にはまだ少し遠い冬の澄んだ空気に、城の北に連なる山々の稜線がくっきりと見える。
外に出ればまだ寒さを感じるが、こうして室内にいる分には、陽射しは十分に暖かい。
窓際近くに置かれた執務机に向かうと、ちょうど背中には窓から差し込む陽が当たる……はずなのだが。
「お前、何しに来たんだ」
外に張り出した出窓に腰を掛けている幼馴染みのおかげで、書類を手にするカインの手元には影が落ちている。
「息抜き」
窓に腰を掛けるなど、一国の主の振るまいとも思えない格好のまま、セシルは短く答える。
だが、息抜きとは言うものの、
「じゃあ、その手にある書類は何なんだ」
「ペン貸してくれ」
「……」
人の話を聞いているのか、いないのか。
印章無いからサインで良いだろう、と言いながら突き出されたセシルの右手に、カインは使っていたペンを乗せてやる。
「息抜きに来たと言いながら仕事をしてどうするんだ」
ため息混じりに言うと、これだけだよ、と書類にサインをしながらセシルは笑う。
遠征続きだったカインが、溜まりに溜った書類仕事を片付けていると、突然セシルが部屋を尋ねてきた。
茶ぐらい煎れてやるから少し待てと告げ、手元の書類だけ決裁してしまおうとすると、背後に回ったセシルに紙片を奪われたのだ。
確かにどうせこの後、セシルのところへ回る書類ではあったのだが。
「ありがとう」
礼の言葉と共にペンと書類が返ってくる。
仕事熱心なのもほどほどにしろ、と一言言ってやろうと思ったカインだが、セシルの笑顔に毒気を抜かれてしまう。
「……ああ」
生返事をしながら、己の手中に戻ってきた紙片と、セシルの顔を見比べる。
そんなカインに構わず、セシルはと言えば、相変わらず出窓に腰を掛けたまま。
ひとつ大きく伸びをすると、窓枠にもたれる。
こんな姿は、他人には見せられたものじゃないな、と思うと、カインも苦笑するしかない。
「やっぱり良いなあ、この部屋」
窓に背を預けたまま、緩く目を閉じセシルが言う。
「何を今更」
「陽当たりは良いし、眺めも良いし」
「懐かしいか?」
この部屋は、赤い翼の隊長に与えられる部屋だ。
十年以上昔には、セシルが使っていた部屋でもあった。
「せめて窓くらいあると良いんだけれどね」
今のセシル即ち国王の執務室は、城のほぼ中心にある。
暗殺その他の危険を考えれば、当然のことながら出入り口以外の窓などあるはずがない。
セシルは曖昧に笑い、のんびりと言う。
「それにしても暖かいなあ……」
「そうか? 外は結構寒いだろう」
「ここ数日、かなり暖かいと思うけど」
「……お前、俺が昨日までどこに行ってたと思ってる?」
カインの遠征先は地底にあるジオット王の城だった。
マグマの海が広がる地底は当然のことながら暑いのだ。
「ああ、なるほど」
道理であの子も寒い寒い言ってた訳だ、と頷くセシルに、そういえばとカインは遠征中のセオドアについての話を思い出す。
そうして、しばし他愛のない話をしていたのだが。
「カイン隊長、少々よろしいでしょうか」
ノックの音に続いて、男の声がする。
聞き覚えがあるような、ないような。だが、鎧の金属が擦れる音が聞こえるということは、城の兵士だろう。
聞こえてきた声に、セシルが慌てて腰かけていた窓から下りた。
人差し指を口にあて、黙っていてくれと合図をすると、そのままカインの足下に座り込む。
そんなセシルの行動に、小さくため息をついて、
「なんだ?」
とカインは、部屋の前にいるであろう兵士に応じた。
カインの答えに、失礼しますと言いながら、兵士が扉を開ける。
赤い翼の隊員かと思ったが、入ってきたのは近衛兵の姿だった。
「陛下のお姿が先ほどから見えないのですが……どちらにいらっしゃるかご存じではありませんか?」
「…………」
近衛兵の方からは、執務机に隠れ、床に座ったセシルの姿は見えないのだ。
ここにいるが、と言ってやろうかとカインは思う。
が、渦中の国王陛下は、カインの膝にもたれ、顔を見上げながら、しーっと子供にするように黙っていろというポーズを取る。
子供のかくれんぼじゃあるまいし、と思うのだが。
「……いつからだ」
「半刻ほど前に、すぐに戻ると仰せになって、お部屋を出られたと聞いております」
「何か火急の件でもあるのか?」
「いえ、ただなかなか戻っていらっしゃらないので」
急ぎの用が無いのならば、せめて一刻くらいは放っておいてやってもいいのではないかとも思う。
そう思うと、足下に蹲り姿を隠す幼馴染みが気の毒に思えてくる。
「まだ城の中は探してはいないのだろう?」
「はい」
「ではまず、城の中を探してみるんだな」
「……はあ」
「私の方でも、見かけるか、向こうがここに顔を出すようなことがあれば、お前達が探していたと伝えておく。それで良いな?」
ここにいるのだから、探したところで見つかるはずはないが、もうしばらくは無駄な探索でもさせておけば良い。
セシルも適度なところで自室に戻るだろう。
強引にカインが話をまとめると、兵士は敬礼をして部屋を去っていった。
「もういいぞ」
兵士の足音が遠ざかっていくのを確認して、カインは足下のセシルに声をかけた。
しかし。
「……セシル?」
返事はなく、代わりに静かな寝息が聞こえてきた。
カインの脚にもたれかかり、さらに膝に頭を乗せ、セシルは眠っていた。
道理で先ほどから膝が重い訳だ、とカインは納得する。
ほとんど机の下に潜り込んだような格好で、寝づらくはないのだろうか。
ほんの数分の間に寝入ってしまうとは。
カインも動くどころか、椅子から立ち上がることすら出来なくなってしまった。
昔から、ほんの時偶、こうして突然セシルが寝入ってしまうことがあるのだ。
それは大抵、疲れている時や、睡眠時間が足りていない時、忙しい時。
程なく目を覚ますはずだ。ただしその間は本当に深く眠っていて、多少触れたところで目を覚まさないことも知っている。
自分の大腿に広がる、セシルの銀の髪にそっと触れる。
「……ぅ、ん……」
頬をカインの膝に擦り付けるように、セシルが小さく身動ぎした。
薄く開いた唇から吐息が零れる。
そんなセシルの額にそっと触れ、また優しく髪を撫でる。
背中は窓から差す陽射しで、足下は寄り掛かるセシルの体温で、とても暖かい。
「ん……」
「起きたか?」
「う、ん……」
十分もしたころだろうか、セシルがふっと覚醒した。
「よく寝た……気持ち良かった」
「十分くらいだったぞ」
まだカインの脚に身体を預けたまま、セシルが目を擦る。
「それくらいでちょうど良いよ。ああ、スッキリした」
「それはそれは」
良かったな、と言ってやると、足下でセシルがふんわりと笑う。
「やっぱりお前の傍だとよく眠れる」
「俺は睡眠薬か何かか?」
「本当、不思議だなあ」
「流石に黒魔法は使えないんだがな」
まるでスリプルでも掛けられたかのような寝入り方を、セシルはするのだ。
セシルがようやくカインから身体を離す。
だが、まだ床に座り込んだままだ。
「でも僕にしか効果が無いしな」
「……まぁ、それはそれで構わんが」
話しながら、ようやく身動きがとれるようになったカインは、引き出しを開け、瓶を取り出す。
掌に悠々と乗る程度の、さほど大きくもない瓶。カランと小さく音が鳴る。
セシルが欠伸混じりに、大きく伸びをする。
「ふあぁ……」
「セシル」
「ぁ……ん!?」
大きく開いたセシルの口に、瓶から出した小さな塊を押し込む。
「ん……あま……」
驚いたような顔をしていたセシルだったが、すぐに何か分かったのだろう、もごもごと口内のものを咀嚼する。
「疲れている時にはちょうど良いだろう?」
瓶の中に入っていたのは、チョコレートだ。
カイン自身は、甘いものをさほど好むわけではない。
だが、この部屋にいるときは頭脳労働が多いので、甘いものが欲しくなることがたまにあるのだ。
「こういうとこ、結構お前はマメだよな」
「マメ?」
「なんだろう、用意が良いというか、几帳面というか、堅実というか……」
首をひねりながらセシルが言う。
なんとなく言いたいことは理解出来たので、
「悪いか?」
と言ってやると、いや、とセシルが笑う。
そして、
「ごちそうさま」
そう良いながら、立ち上がった。
「そろそろ戻るよ。大騒ぎになっても面倒だ」
「そうだな。これ以上は俺も庇いきれん」
「邪魔して悪かったな」
一応、カインが仕事中だったことを覚えていたらしい。
セシルが苦笑混じりに詫びる。
「せっかくだから持って行け」
セシルを扉の外まで見送ってやるついでに、その手に菓子の入った瓶を握らせる。
一瞬驚いたような顔をして、セシルはすぐに笑顔になる。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
カラカラと瓶を小さく振る。
「空になったら、何か入れて返せ」
ありがとう、と言うセシルに、カインは冗談交じりに声を掛ける。
「わかった、そうする」
楽しみにしていてくれ、とセシルは応じる。
そして瓶を持ったままの手を振ると、仕事の待つ部屋へと帰っていった。