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The beginning of goodbye −03−

 閉ざされた地下では、月日の移ろいなどは解らない。
 おそらくは翌日になるのだろう、この部屋へ三度姿を見せたのはエアリスだった。
 
「おはよ。ごめんね、邪魔しちゃって。でも出来れば起きて手伝ってくれないかな」
「何をだ?」
「うーん、この村ちょっとおかしいの。昨日クラウドが言ってたでしょ、五年前に燃えてなくなったって。でもね、今もちゃんと人住んでるの。火事なんてなかった、昔から住んでるって言うのよ」

 変でしょ?エアリスは言う。
 
「クラウドとね、クラウドの幼馴染のティファって子がいるんだけど、二人ともこの村の出なの。だけど二人の家にも別の人が住んでる」
「それは……神羅の工作ではないのか?」
「だと思う。だからね、その証拠探してるの。手伝ってもらえないかなぁ」
「私は……」

 此処から出るわけにはいかない。
 そう告げようとしたまさにその時、開けたままの扉を通して、部屋の外から叫び声が聞こえた。

「セフィロス!」

 クラウドの叫び声。
 あの子の名前。
 実験室のほうから。

 気付いた時には、私は部屋を、牢獄を飛び出し、あのおぞましい実験室へと踏み入っていた。
 あの頃から何も変わらない部屋。
 壁一面に天井まで設えられた本棚。
 サンプルを収納するためのビーカー類。人間すら収めることのできるような大きさのそれだけは、見憶えのないものであった。
 そして、おそらく私もそこで施術されたのであろう、医療用の寝台。
 薬品の鼻をつくような匂い。

 どれほどの年月を経ても変わることのない狂気の場所。

 実験室のさらに奥、資料室へと続く通路にクラウドがいた。
 通路の向こう、資料室へいる誰かへ再び声を張り上げる。
「セフィロス!」

 クラウドの頭上越しに、こちらへ背を向けたままの資料室にいる人物の姿が目に入る。

 背を覆うほどの長い髪。
 月光のような淡い光を放つ銀の色。
 あの子と同じ銀色の。

 その人物が、ゆっくりと振り返った。
 銀糸がさらりと揺れる。
 あの日別れたあの子が成長したならば。
 きっと、こんな青年になっていたはずだ。
 非の打ちどころのない、完璧な美の具現。
 「彼」は微笑ともとれるような表情でこちらを…クラウドを見つめる。
 その瞳は、翡翠の色。
 星の、命の色。
 そんな、まさか……

「懐かしいな、ここは」

 「彼」の形の良い唇がゆっくりと開き、声が発せられる。
 聞くものすべてを虜にする、美しい声音。
 私の知る、幼いあの子のものとは異なるそれだが、しかし私はあの子の声だと確信していた。
 稚い子供の高い声、子供らしいほんの少し舌足らずな話し方、それらの片鱗も感じさせない声だったが、それはまるで歌のように私の耳に響くのだ、昔も今も揺るぎなく。

「ところで、お前はリユニオンに参加しないのか?」
「俺はリユニオンなんて知らない!」

 クラウドを見つめる「彼」は目を細め、金の髪の青年に問うた。
 問われたほうは、まるで聞き分けのない子供が親へ嘘を吐く時のように、激しく首を振り「彼」の言葉を過剰なまでに否定する。

「ジェノバはリユニオンするものだ。ジェノバはリユニオンして空から来た厄災となる」

 何を言っているのだ、「彼」は。
 ジェノバは災厄となる。
 どこかで聞いた言葉だ。
 ああ、私の中の「混沌」だ。あれもまた、ジェノバは災厄なのだと言っていた。
 では、あの子は?
 その身にジェノバを、災厄を有するあの子は、どうなるのだ。

「ジェノバが空から来た厄災? 古代種じゃなかったのか!?」

 クラウドが叫ぶ。
 違う、ジェノバは古代種ではない。
 それはガスト博士も言っていたこと。
 プロジェクトは最初から間違った方向へと進んでいたのだ。
 古代種を再生させるためのプロジェクト。
 媒介に使用したジェノバは、そもそも古代種ではなかった。
 では、あの子は?
 人工的な古代種として誕生したはずの、古代種ではなかったあの子は、何なのだ。

 クラウドの叫びに、「彼」は興味を失ったかのような表情を見せ、ゆったりと歩き出した。こちらへと。

「……なるほど。お前には参加資格はなさそうだ。私はニブル山を越えて北へ行く、もしお前が自覚するならば……私を追ってくるがよい」

 まるで託宣のような言葉を、すれ違いざまクラウドへ囁く「彼」。
 クラウドは通路に呆然と立ち尽くす。

 音もなく通路を抜け、実験室へと進んだ「彼」が、私の前で歩を止めた。
 いつも、膝を付き抱きしめていた小さなあの子。
 今は、私よりほんの少し目線が高い。

「……セ」

 あの子の名を、「彼」のものかもしれない名を、口にしようとしたその刹那、ふっと「彼」の表情が揺らぐ。
 それはすぐに不快気なものへと変わり、唇を噛みしめるようにして、「彼」は踵を返した。
 一瞬のあの表情。
 知っている。
 あの子の、私の知っているあの子の顔。
 何か言いたいことがある時の、だがそれが我儘だと自覚しているときの顔。
 どうした?と問うてやると、おずおずと望みを口にする。
 いつもそれはとても些細な願いだった。
 それでも口にすることを躊躇う、あの子の境遇。
 何故連れて逃げることをしなかったのだろう。

 それまで、足音ひとつ立てることの無かった「彼」が、カツカツと靴音を響かせ、実験室を後にしようとしていた。

 カツ…ン……
 
 「彼」が立ち去る靴音に交じり、何か硬質なものが床を打つ音が聞こえた。
 
「待て、セフィロス!」

 今しがたまで呆然と通路へ立ち尽くしていたクラウドが、我に返ったように、叫び駆け出す。
 実験室の中央に、やはり呆然と立ち尽くしていた私と、その背後にいたエアリスを押しのけ、「彼」の後を追った。
 クラウドに突き飛ばされ、よろめいた私の足元へ、何かが当たった。
 部屋の外が気にはなったが、それ以上の「何か」にひかれるように、私は足元のものを拾い上げた。
 マテリアだ。
 翡翠の色をした、星の欠片。
 そっと指先でつまみ、宙にかざす。
 流れ込んでくる力は……一切の無。

「消滅、のマテリア……ね」

 いつのまにか傍らへと寄っていたエアリスが、私がかざしたマテリアを見つめながら呟いた。
 碧の石を見つめる、彼女の瞳の色に、突然過ぎ去りし日の想い出が蘇る。

「星の色だよ、セフィロスの色は」
「なんにもはいってないね」
「そうだな……だから何にでもなれるものだ」
「ぼくのいろなの?」
「ああ。星の色……生命の色だ」
「ふうん……。はい」
「いいよ、これはセフィロスにあげよう」
「ほんとう?」
「ああ」
「ありがとう」

 ほんの一瞬、何かを言いたげな顔をした「彼」…いや「あの子」。
 これが、願いだと言うのだろうか。
 あの子の残した、ひとつの石。ひとつの意思。
 これは、あの日手渡した、無限の可能性の象徴だ。
 あの子が自由であるはずがないことを知りながら傍観しながら、それでも願わずにはいられなかった。託したマテリア、何にでもなれる星の欠片は、私の願いそのものだったのだ。
 だが、あの子の選んだ可能性は、一切の消滅。

 これが、私の犯した罪。

「あれ、誰だったんだろう……」

 エアリスの小さな声に、引き戻された。
 
「なんだ?」
「ううん、何でもないの。それより、クラウド!」

 エアリスはぱたぱたと走り、実験室から外へと続く扉を開けた。
 
「クラウド?ね、セフィロスは?」
「消えた」
「え?」
「消えたんだ……行こう、ニブル山だ。俺たちも北へ行かなくては」

 彼らを知って間もない私でもわかる程の違和感だった。彼をよく知るのであろう、エアリスは私以上の不信感で怪訝な顔をクラウドに向けている。
 クラウドの言葉は、まるで憑かれたような様相を帯びていた。
 行かなくては、と再び呟き、ふらりと歩き出す。エアリスも、その後を追うようにして、しかしちらりとまだ実験室に佇む私を振り返った。

「待て!」

 ふらふらと螺旋階段へ向かうクラウドの背に、声を掛けた。
 
「お前達についていけば宝条に、セフィロスに会えるのか?」

 呼び止められ、そこでようやく呆然としていたクラウドの表情に理性が戻ったように見えた。

「さあな。でも奴もセフィロスを追っている。となれば、いずれは……」
「よし、わかった……お前達について行く事にしよう」

 あれだけ拒絶を繰り返した私がそのようなことを言い出すとは思ってもみなかったのだろう、クラウドは驚きに眼を見張る。
 一方のエアリスは、やっぱりね、とでも言うように、小さく微笑む。

「いいんじゃないかしら、ね。クラウド?」
「元タークスと言う事で何かと力になれると思うが……」

 私を援護するようなエアリスの言葉に、私も言を重ねる。
 元神羅であれば、タークスだと言うことをちらつかせるのが一番効果的なように思えた。

「よし、いいだろう」

 それほど長くもない時間考えた後に、クラウドが頷いた。

 朽ちかけた螺旋階段を一段また一段と踏みしめる。

 私もまた、この屋敷を覆う狂気に包まれていたのだろうか。
 たった一人、あの子の味方のつもりでいた自分。
 そのくせ、あの子を救うことをしなかった自分。
 それもまた、ひとつの狂気ではなかったか。
 
 二階の隠し扉を出て、今度はホールへ続く階段を、降りて行く。
 玄関の重厚な扉を開けると、久方ぶりの陽の光に照らされた。
 
 あの牢獄で一人悪夢を見続けることが償いだと思っていた。
 一人悪夢に繋がれていれば、私が悪夢に繋がれることで、あの場に悪夢を閉じ込められると無意識にそう思っていた。
 しかし、悪夢はとっくに屋敷の外へと広がっていたのだ。
 少しずつ少しずつ、私が眠っている長き時の間に広がり続けたそれは、もはや星のすべてを覆いつくす悪夢へと変容していたのだ。
 錆びついた屋敷の門扉を開き、外界へと踏み出す。
 一歩屋敷の外へ出て、古びたその建物を振りかえる。
 悪夢の始まりの場所。
 
 様々な人が、ここで様々なものを失った。
 私もまた、すべてをここで失った一人だ。
 そんな私に残されたものは、たった一つ。
 消滅の願いを込められた、星の欠片。
 
 すべてを狂わせたあの男に問い正さねばならないことがある。
 彼女の行方も探さなければならない。
 そして、あの子に会わなければ。
 先程は名を呼んでやることすら、できなかった。
 もう一度、あの子に会って、そして……

 掌の中、小さな星の欠片をぐっと握る。
 斯くして、私の旅は、始まった。

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