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―Cain & Rosa―

「やっぱり外は寒いわね」
 外に出た途端、冷たい風が頬を撫でていった。
 彼女の言葉にそうだなと頷きながら、カインは表通りを歩き出した。
「でも寒いほうが星が綺麗に見えるわ」
 隣を歩いている彼女はそう言い、空を指差す。
 今日のドレスやアクセサリーに合わせたのだろう、綺麗なゴールドに染められた指先。
 きらきらと光って星のひとつのようだ。

 共通の知人、というよりは、家同士の付き合いと言ったほうが正しいだろうか。
 パーティに招かれて、ローザと共に出席した帰りなのである。
 舞踏会や夜会、昼間であればお茶会。貴族社会では、こういった集まりはよくあることだった。
 もっともとりあえず顔は出したという事実が重要なのであって、まだ十代半ばのカインとローザが長居をしたところで楽しい場でもない。挨拶をしなければならない最低限の人たちに顔を見せると、早々に辞去してしまった。
 招かれた屋敷を後にしたのは、夕方には遅く、夜には早い中途半端な時刻。
 せっかくだから食事でもして行こうかということになったのだった。

 食事を終え、屋敷まで彼女を送っていくことになった。
 ローザに合わせて、カインは普段よりはゆっくりと歩いている。
 街中で彼女と二人きりというのは珍しい。
 いつも三人でいる訳ではないはずだ。
 しかし、実際にセシルがいないシチュエーションになってみれば、珍しいなと感じるのだから不思議なものである。
 そんなことをカインが考えていると、ローザが
「セシルは今日はどうしてるのかしら?」
と言った。
 どうやら同じ事を考えていたらしい。思わず笑いを噛み殺す。
「なあに?急に笑ったりして」
「いや、何でも無い。……セシルだったら、シドのところだろう、今日も」
 飛空艇の開発が大詰めだと聞いている。
 飛空艇にさえ乗れば誰でも空に行けるという時代が間もなくやってくるのだろう。
 空を自在に駆け、そこで戦う竜騎士として生きるカインには、それがいまいちピンと来ない。
 忙しい以上に楽しくて仕方が無いという顔で、セシルがいろいろと語るのを聞いてやるのが、最近のカインの日課である。
 もっとも春になれば学校も卒業だ。寮の同じ部屋で寝起きする生活ももうあと少しだ。
「休日だけでなく、最近は授業の後にも顔を出しに行っているようだしな。毎日、機械油まみれになって帰って来るぞ」
「あらあら……本当に夢中なのね」
 会話は自然と、ここにはいないセシルの話題になる。
 ふと、自分がいない時には、セシルとローザはどんな会話をしているのだろうかと、気になった。

 他愛のない話をしながら歩いていたのだが、いくらも歩かないうちに隣を歩く彼女の姿に違和感を覚えた。
 いつも綺麗に背を伸ばして軽やかに歩くローザ。
 だが、今は足下が少しふらついている。
 大通りの、綺麗にレンガが敷かれた歩きやすい道のはずなのだが。
「きゃっ」
 小石でも踏んだのだろうか、不意によろけた彼女の腕を咄嗟に取った。
「大丈夫か?」
「ごめんなさい、平気よ」
 謝る彼女の足下に視線を落として気が付いた。
 大人っぽいシンプルな形にシルバーやゴールドの派手なアクセントをおくファッションが流行るらしいと、どこかで聞いたことがある。
 今日の彼女もそんな流行を意識したのか、濃い落ち着いたトーンの赤いドレスに、金のアクセサリーを身に付けていた。
 靴は装飾品と同じくゴールドのハイヒールだ。
「足、痛むんだろう」
 服やドレスなど多数持っている彼女だが、流行を先取ったコーディネイトだという事を考慮すると、おろしたての新しい靴なのだろうと容易に推測出来た。
 食事をしに、少し遠回りをさせたことを後悔する。
 もっと早く気付けばよかった。
「え……?」
 何の説明もしていないのにと、少し驚いたような顔をして、そしてローザは小さく頷いた。
「新しい靴だとやっぱり駄目ね……でも大丈夫よ、もう少しで家だし」
 しかし大丈夫と言われたところで、はいそうですかと言えるはずがない。
 ちょうど二人は今、広場にさしかかる場所にいる。
 人の往来は多いが、空いているベンチがあることを視界の隅に捉え、
「つかまってろ」
 素っ気なく言うと、カインはローザを抱き上げた。

「いつもより踵も高い靴のようだしな。歩き慣れないんだろう?」
 決してハイヒールを履かないというわけではないのだが、いつもの彼女はあまり踵の高い靴は履かない。
 理由はなんとなく想像が付いている。
 カインの指摘に苦笑しながら、ローザはすまなそうに答える。
「久しぶりにこんなに高いヒールを履いたの。迷惑を掛けるつもりじゃあなかったんだけれど……」
「迷惑だとは思っていないから気にするな。珍しいとは思ったが。……セシルがいないからか?」
 今でこそ、セシルのほうが多少彼女よりは背が高いのだが、少し前までは二人の身長はほとんど変わらないくらいだった。
 それどころか、時期によってはローザのほうが背が高かったこともあったのだ。
 どうやら身長が伸びないことをセシルが気にしているらしいと、それはカインは知っていたし、彼女も知っているはずだった。
 そこまで知っていれば、ローザが気を使っているのだろうと、予想は出来る。
「あなた、本当によく気が付くわね」
 カインの問いに、是とも否とも答えず、だが腕の中の彼女はくすくすと笑う。
 その様子からすれば、カインの予想は外れていないのだろう。

 ベンチに彼女を下ろし、座らせる。
 痛むことがばれたからだろうか、彼女は靴を脱いでしまった。
 白い素足が目に映る。
 幼い子どもの頃ならともかく、この歳になってしまうと素足を目にすることなどほとんどない。だからだろうか肌の白さが妙に眩しく見えてすぐに目を逸らしてしまった。
 だが、一瞬見ただけでも気が付いた。
 滑らかな肌だが、踵や親指の付け根のあたりが真っ赤になっていた。
 皮が剥けたり血が滲んでいるところはないようだが、もう少し歩かせていたら、そうなっていたはずだ。
 とはいえ、今の状態でも十分に痛々しい。
「そのまま靴は自分で持ってろ」
「え?」
「おぶってやるから……ほら」
 ベンチに座る彼女の前に膝をつく。
 返事も聞かず背を向けたのは、照れ隠しが半分、そして残る半分は彼女に有無を言わせないためだ。返事を待っていては、遠慮するに決まっている。
 少しして、おずおずと彼女が背に乗った。
「本当にごめんなさい……ありがとう」
 細いすんなりとした腕が首に回されて、耳元で彼女の声がする。
 傷ひとつない柔らかな白い腕に、ほんの少しどきりとした。

「なんだか懐かしい」
 ふいに、背中の彼女がぽつりと言った。
「……そうだな」
 昔は、ローザのことも、セシルのことも、よくこうやっておぶってやった。
 転んで膝を擦り剥いただとか、そんなちゃんとした理由があればまだマシで、ただ遊び疲れてもう歩きたくないと駄々を捏ねるのを背負って帰ったこともある。
 そんな昔のことを思い出しながら歩き続ける。
 冬の冷たい空気の中、背中と彼女の腕が絡む首筋だけが温かい。
「何かお礼しないといけないわね」
「別に構わない。……初めてでもないしな」
 つい先ほどの彼女の発言を引き合いに、少し冗談めかして言うと、ローザが笑う。
「そんなつもりで言ったんじゃなかったのに……もう」
「気にするなってことだ。セシルなんて今でもたまに背負ってやってるからな」
「ええ?どういうこと?」
「最近だと三日前だな。食堂で飯を食いながら寝たから部屋まで背負って帰ってやったばかりだ」
 朝から授業を受けて、終わるなりシドのところに出掛けて、門限ぎりぎりに帰ってくる。連日それを繰り返して疲れていたのだろうが、さすがに食事を摂りながら寝るヤツがいるか、と呆れたものだ。
 カインの話にしばらくクスクスと彼女は笑い続けていた。

 やがて、ふと彼女が何か思いついたのか、声を上げた。
「あ……そうだわ」
「なんだ」
「お礼……マフラーと手袋でも編むわ。使ってくれるかしら?」
「急にどうした」
「昔のことを思い出したら、あなたとセシル、よくお揃いのマフラーをしていたなって思って」
 ああ、そんなことか、とカインも懐かしく思う。
「……母さんが、毎年作っていたからな」
 母が亡くなってもう数年が経つ。ようやくこんな風に何気なく話題に出せるようにもなった。
 彼女はそうだったのね、と囁くように優しく言った。
「じゃあ、セシルとお揃いにしてあげましょうか?」
 ほんの少ししっとりとした空気を吹き飛ばすかのように、彼女はくすりと笑う。
「……さすがにそれは……」
 その光景を想像してみて、すぐにあり得ないなと首を振った。
「嫌?」
「嫌というか……使いづらい、な」
 何と答えたものかと、妙に回りくどい言い方になってしまった。
「冗談よ。私だってせっかくだからちゃんと使ってもらいたいもの」
「そうしてもらえると助かる」
「……相変わらず、あなたの手、冷たいんだもの。寒くないの?」
 セシルと似たようなことを言うんだな、と思う。
 どうやらカインは体温が低いのだろう。手が触れると、冷たいとよく言われるのだ。
「俺は別に寒くもなんともないんだが……すまん、冷たかったか?」
 そう答えながら、ドレスの裾越しとは言え、彼女の脚に触れていることをふいに意識してしまった。
「あ、ううん、私は大丈夫だけれど」
 背後で彼女が首を振っている気配がする。
 顔は見えないが、背中越しに伝わる微かな動きや耳元にかかる息使いで、表情よりもずっと精緻な感情が伝わってくるような気がする。
「でもやっぱり手袋は作らせて?」
「……ああ、頼む」
「うん、任せて」
 やはり表情は見えないまま、彼女が頷くのだけが分かった。

 やがてファレル家の屋敷が見えてきた。
 もう少しだけ、遠くにあればよかったのに。
 背中に彼女の体温を感じながら、残念に思った。

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