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チョコレート狂想曲
2019 バレンタイン
その日の夜。
セシルとローザに声を掛け、飛空艇の個室のひとつへと誘った。大勢が集まる食堂兼談話室もあるが、他にいくつか個室もあって、少人数で話したいときにはそちらを使う者が多い。三人だけになったところで、カインの顔を見たローザが微笑んだ。
「そうそう、お菓子頂いたのよ。ご馳走さま」
「僕も食べたよ。エーコが、カインと作ったって配ってたけれど」
どうしてそんなことに?とセシルの顔には書いてある。
「まあ……なりゆきで手伝うことになっただけなんだが」
「もしかしてあれかしら? 何て言うのだったか……名前は忘れてしまったのだけれど。女の子たちの間でちょっと前に話題になったの。チョコレートを好きな人に渡す日の話。特にエーコは興味津々だったのよ」
「まさにそれだ」
さすがの勘が良さだなと感心して頷きながらもカインは苦笑する。
「それで……これは?」
だがセシルのほうはさらに怪訝そうな顔で、目の前のテーブルを示した。その上にはグラスが二つ置かれている。日中、カインが作っていたデザートである。
「余り物の寄せ集めなんだが、せっかくだからな。お前たちにと思ってな」
「あら、可愛い。トライフルね」
「これ、そういう名前だったのか……」
透明なグラスに何層も菓子が重なる様子は見た目が豪華なこともあり、晩餐会などで供されることも多い。
「で、好きな人に甘い物を渡すのが何だって?」
「いや、それは忘れろ。エーコの目的がそれだったというだけで、俺には関係無い」
どうやらあらぬ誤解を招きそうでカインは慌てて言ったのだが、
「……これ僕が食べてしまっていいのか?」
妙なところで気を回すセシルが遠慮がちに尋ねて来た。
日中からエーコの誤解に振り回され、今度はお前かと呆れたカインは、そのストレスからか、ふと少し親友をからかってやりたくなった。そこで、
「食わないのなら両方ともローザにやるが」
とカインは涼しい顔で言ってやった。
エーコがは「セシルがヤキモチ焼くわね」と笑っていたのだが、確かにローザにだけ菓子を渡せばセシルは嫉妬はするに違いないのだ。ただしそれは、エーコが想像しているのとはかなり違う方向にである。
「甘いものならこれくらい食えるだろう?」
「ええ、余裕だわ。とても美味しそう。嬉しい」
カインの意図に気付いたのか、追い打ちをかけるとローザがそれに乗ってきた。セシルはふたつのグラスをじっと見つめ、次にローザとカインを交互に見つめる。
「じゃあ、いただきます」
にこりと微笑みスプーンを手にした彼女に
「待ってくれ……その、僕も、食べる。食べたい……」
とセシルが制止の声をついに上げた。
くすくすとローザが笑い出す。
甘い物に目がないセシルだ、目の前でローザがデザートを独占しているのを見過ごせるはずがない。エーコの妄想のように、仮にカインがローザとふたりでこれを食べた場合も同様だ。二人だけで美味しいものを食べてずるいと、セシルはエーコの想像とはまったく違う意味での焼き餅を焼くに決まっている。
上目遣いにカインを見つめるセシルをしばらく睨み、ようやく気が済んだカインはふっと笑うと、
「だからお前たちに作ってきたと最初から言っているだろう」
と言った。そのやりとりを見ながらローザはなおもくすくす笑い、どうぞとスプーンをセシルに差し出した。渡されたスプーンを受け取ると、
「いただきます」
セシルが満面の笑みで、グラスに重ねられたいちごとクリームをすくい上げた。
その隣でやはりローザも笑顔でスプーンを口に運んでいる。
「美味いか?」
とカインが尋ねると、幼馴染みの二人が同時に頷く。
「そういえばあなた、自分の分は作らなかったの?」
「甘い物は当分要らん。味見も散々したしな」
なにより甘い匂いをしばらくは身体が受け付けそうにない。数ヶ月分のチョコレートの匂いを今日一日で嗅いだ気がするのだ。そう言ったカインに、
「もったいない……」
とセシルは本気で残念そうに呟いた。
「甘い物を食べると幸せな気持ちになるのに」
「本当にね」
そう言って頷き合う二人を見てカインは思う。
幸せという意味ならば、今この瞬間が十分に幸せな時間なのだ。自分の作ったものを親しい人たちが美味しいと、幸せだと言って笑ってくれる。その空間を共有している。それはとても贅沢なことだろう。
「……お前たちが食っているところを見ているので俺は十分だ」
冗談のつもりでそう言ったのだが、思った以上にその声は満ち足りた響きに溢れていた。それにセシルとローザ気付いたのだろうか。
「次も期待しているわ」
「僕も」
二人の言葉と笑顔に、任せておけとカインも笑顔を返したのだった。