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竜の騎士と銀の猫 <エピローグ>
dragoon meets a silver kitten
「お忙しいのにわざわざご足労頂いて、ありがとうございました」
ポロムが隣を歩くセシルを見上げて、礼を言う。
「いや、こちらから持ちかけた話だからね。長老に直接お会いしてお話ししたいと思っていたし」
そう明るく返事をしたセシルは、一段声を低くし、幼い頃からよく知る白魔導士の少女に囁く。
「たまには外遊に出られるほうが私も嬉しいんだ。良い気分転換になる」
「セシルさんったら」
ミシディアを代表する魔導士として、外交用の畏まった口調を崩さなかったポロムが、兄のように慕うセシルの冗談に、ようやく彼女らしい笑顔を見せる。
そんな二人の数歩後ろをカインは歩いていた。
セシルが言ったように、外遊にバロン国王であるセシル本人が出てくることは最近では珍しい。
元より、城や国内で大人しくしているような性格ではなく、手が届く限りは何でも自分で動きたいセシルなのだが、 さすがに現在の情勢ではなかなか国外には出られなかったのだ。
民は皆、セシルはこの星を襲った脅威に捕えられ、カインを筆頭にした仲間たちの活躍もあり幸いにも無事に戻ってくることが出来たのだと信じている。その国王がまた国を不在にし、外遊に飛び回るのでは、国民が不安に思うことは容易に想像が出来るからだ。
カインが国に戻ってきたこともあり、各国との連絡や調整は主にセオドアとカインに委ねることが多くなっていた。
そんな中、久々にセシル自らが国を出て、ミシディアを訪ねたのだ。
護衛の対象がセオドアではなくセシルだというのは、カインにとっては少し不思議でもあり、同時に新鮮でもあった。
「あの……!」
ふいに声をかけられ、近付いてきた見知らぬ人物に、一瞬身体に緊張が走る。
怪訝な顔で振り向くと、そこには十代の前半と思しき少女の姿があった。
足を止めたカインに気付き、セシルとポロムも立ち止まり背後を振り返る。
「なんだ?」
随分と身なりの良い少女だった。刺客ではないようだと緊張を解く。
少女は蜂蜜色の髪を丁寧に結い上げ、落ち着いた臙脂色のビロードの外套を身に纏っている。
カインが訝しげに尋ねると、その少女はカインをまっすぐに見上げてこう言った。
「私のこと、覚えてらっしゃいませんか?」
「なに……?」
「ずっと昔、あの館の前で」
ニァ、と子猫が鳴く声が、脳裏に蘇る。
「あの時の娘か」
「……はい!」
良かった、人違いかと思いました、と少女は安堵したように微笑む。
「あの時は、ありがとうございました」
「いや、俺は何も」
「セシル……あ、あの子の名前なんですけれど、元気にしています」
思いがけない少女の言葉に、カインは一瞬面食らう。
数歩離れた所に立つ親友と、その隣でポロムも驚いたような顔をしていた。
「そんな名をつけたのか」
驚愕が去ると、妙な可笑しさがこみ上げてきた。カインは小さく笑う。
「ごめんなさい、家に連れて帰った後に気付いたんです。名前を聞き忘れてしまったって」
「構わん、名前は決めていなかったからな」
一人と一匹だけの生活だった。
呼び名など必要がなかったのだ。
「あまり猫らしくない名前だって言われるんですけれど」
少女が苦笑する。
そんな彼女にカインは、いや、と小さく首を振る。
銀色の小さな子猫が首を傾げて甘えて鳴く姿を思い出す。
「……似合いの名を、貰ったんだな」
ぽつりと零れた言葉は、とても穏やかな声音だった。
時間のある時に屋敷に会いにきてください、と言い残し少女は去っていった。
どうやら、カインの顔は覚えていたようだが、その身元までは気付かなかったらしい。旅の騎士だとでも思われているのだろう。
カインがバロンの騎士で、すぐ傍にいたのがバロン国王だったと知ればきっと驚いたに違いない。
「ああ、驚いたな。何の話かと思ったら、猫の名前、なのか?」
奇しくも猫と同じ名だったセシルが、少女の背を見送るカインに話しかける。
突然自分の名が、見知らぬ少女とカインの間で出れば驚くのも無理はない。
「あの子とお知り合いだったんですね」
セシルの問いと、ポロムの言葉に、ああ、とまとめてカインは頷く。
「以前、ほんの少しだが、会ったことがある。……彼女を知っているのか?」
あの子、という言い方をしたポロムに、逆にカインが訪ねた。
「ええ。何度かお屋敷にもお邪魔したことがあります」
そう答えたポロムが思い出したように、ああ、と声を上げる。
「銀色の、綺麗な猫ちゃんがいるんです。名前までは私も知らなかったんですけれど」
まさか、セシルという名だとは思わなかった。
ポロムとカインの視線が、セシルに集まる。
「そういえば、少しセシルさんに似ているかも」
「……そうだな」
くすくすと笑うポロムに、カインもフッと笑みを見せ同意する。
「甘ったれで、生意気で、我が儘で」
セシルの顔をちらりと見やりながら、そう言ったカインに、誰のことだ、とセシルが抗議の声を上げる。
「さあな」
笑いながら流したカインになおもセシルが食い下がる。
「だいたい話がさっぱり見えないんだが。何があったんだ」
「昔の話だ。お前には関係ない」
「いや、どう考えても関係あるだろう。だったら僕の名前がなんで出るんだ」
「偶然の一致だ、気にするな」
「いやだ、気になる。詳しく聞かせてくれ」
「……気が向いたらな」
二人の子供じみた言い争いに、ポロムが呆気にとられた後に、ふっと吹き出した。
「ポロム?」
セシルとカインも口論を止め、笑い続ける彼女を見つめる。
「ローザさんが、言ってたんです。
普段は正反対なのに、たまに二人はとてもよく似てるって。
それを思い出したら、なんだかおかしくなってしまって」
ごめんなさい、と言いながらなおも彼女は笑い続ける。
ポロムにそう語ったときのローザの表情と口調は何となく二人には想像がついた。
きっと、どうしようないんだから、と呆れ半分だったに違いない。
今はバロンで二人の帰りを待つ彼女の姿をカインは思い起こす。
そう、気が向いたら、彼女には語っても良いかもしれない。
セシルに語るつもりはない。
だが、誰かに聞いてもらいたい。
ほんの一時、共に過ごした子猫の話を。
カイン、とセシルが呼んでいる。
なおも、話をきかせろとせがむ親友の少し甘えた声。
ナァと甘えて鳴く、彼と同じ名と色をした猫の柔らかな温もりを、懐かしく思い出した。