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君と出会った日
the first impression
「人のいない間に身辺調査とは、どういうことかな?」
些細な用事を片付けて執務室に戻ってみれば、息子と親友が何やら自分を話題に盛り上がっているところだった。
冗談交じりにそう言いながらセシルが部屋に入っていくと、心なしかセオドアが背筋を伸ばす。
それを見て微かに笑いながら、先程まで座っていたソファに再び腰を下ろす。
「そんな大袈裟なことじゃないですよ」
隣に座る息子がこちらを見上げて苦笑する。
「何の話だったんだい?」
「二人が初めて会った時のことを知りたいなと思って」
「……そんな大した話じゃないだろう?」
「と、俺もそう言ったんだがな」
カインも呆れ半分な様子だ。
「父さんは、カインさんの第一印象はどんなでしたか?」
「……第一印象?」
またそれか、とカインが笑っている。
どうやら彼も同じ質問をされたのだろう。何と答えたのかが気になるところではある。
尋ねたセオドアは、きらきらとした表情で答えを待っている。
残念ながらさらにこの顔を輝かせるような話にはならないなと思いながらも、セシルは口を開いた。
「あの頃は友達なんていなかったからな。歳の近い子を紹介すると言われてとても緊張していて……正直あまり覚えてないんだ」
悪いな、と期待していたらしい息子と、そして忘れられた親友に謝る。
「えぇ……」
セオドアが残念そうに項垂れた。
「それはそうと、時間は大丈夫なのか? この後約束があると言っていただろう」
落ち込んだ様子の息子に尋ねると、ぱっと顔を上げて立ち上がる。
「あ! そろそろ準備しないと」
「気を付けて行っておいで」
「はい。行って来ます!」
先程までの未練がましい表情はどこへ行ったのか、セオドアが笑顔で頷いた。
なにやら友人と会うらしいと聞いている。
ぱたぱたと慌てて部屋を出て行く日に日に背の高くなる背中を、カインと二人で見送った。
「最近あちらこちらでお前の話を聞いて回っているようだな、あいつは」
「そうなのか」
セシルの昔の話ならば、大半はカインかローザ、そしてシドのいずれかに聞けば知られてしまうだろう。
何に興味を持っているのか、そこはセシルにはいまいちよくわからないが、息子が自分に積極的に関わってくれるのは率直に嬉しいと思う。難しい年頃になりつつあるだけに、そういう素直な部分が垣間見れるのは喜ばしい。
セオドアが出掛けて行き、室内には静寂が戻ると先程の話をセシルは思い返す。
「それにしても……お前と出会った頃、か」
もう30年は前の話になる。
「大した話ではないのは確かだけど……」
独り言のようにセシルが呟くと、カインが先を促した。
「だけど?」
「僕には大切な思い出だからな」
人に話したところで共感はされないだろう。些細な日常の断片でしかない話なのだから。
「覚えていないと、たった今お前が言ったばかりだが?」
カインが揶揄するように笑いながらテーブルの上のカップに手を伸ばした。
その指先が陶器に触れるより早く、セシルは自分の指を絡めた。
「……セシル?」
「緊張していて細かいことを覚えていないのは本当なんだ。ただ……お前が、手を繋いでくれたことだけはよく覚えていて」
たぶん簡単な自己紹介くらいは先にしたのだろう。その辺りのことはよく覚えていない。
自分達を引き合わせた王とカインの父と、そのどちらだったかも覚えていないのだが、大人から二人で外で遊んでおいでと言われた。
するとカインがさも当たり前のようにセシルに手を差し出した。
後になって知ったことだが、カインには二つ年下の幼馴染み――つまりはローザだ――がいて、どこかに行く時には彼女の手を引いてやるのが習慣だったらしい。
彼女にするのと同様に、同じく年下のセシルのことも手を引いて遊びに行こうとした。
彼にとってはそれだけのことだったはずだ。
「子供だったからかな。今と違って、お前の手は暖かかったな」
誰かと手を繋ぐことなど、あの頃のセシルにはほとんど経験がなかった。
王が父親代わりではあったが、普通の親子のように手を繋いで歩いたりと、そこまで気安い関係ではさすがになかった。国王なのだから当然だろう。僅かに数度、城の中庭で手を繋いで散歩したことがあるくらいだ。
セシルにとっては、誰かに手を引かれている思い出は、その大半がカインに手を引かれている場面になる。
その最初の思い出が、出会った直後のことだったのだ。
指を絡めたり握ったり、弄ぶように彼の手に触れていると、自然と笑みが零れる。
例えば、隣に座って肩を抱かれたり、それこそ寝台の上で抱きしめられたり、いろいろなシチュエーションを知っている。そういう場面で得られる幸福や感情の高揚ももちろん悪くはない。
けれど、何より安心するのは、この手に触れている時だった。
「今でも、お前の手に触れて貰うと……お前の手に触れていると、すごく落ち着くんだ」
さすがにこの年齢になってしまえば、子供のように手を引かれることは、まずありえない。
だからだろうか。
ふとした場面で髪を撫でられたり、頬に触れられたりする機会があると、それが嬉しくて幸せで、その度に「ああ手を繋ぎたいな」と思うのだ。
「……っ」
ふいに手を握り返された。
一方的にセシルが触れていただけだったのに、絡めた指が引き寄せられてぎゅっと握られる。
「……思い出した。あの時と同じ顔だな」
「え……?」
カインがふっと笑う。
「外で遊んで来いと言われて……お前に手を差し出したら、最初はひどく驚いた顔をしていた。しばらく待っていたらやたらと不安そうな顔でようやく手を取ったから、俺は行こうと言ってお前の手を握り返したんだ」
「ああ」
こんなことを鮮明に覚えているのは、セシルとそしてカインの二人だけだろう。
あの場にいた大人たちにとってはすぐ忘れてしまった他愛のない場面だったはずだ。
「こうして手を握った瞬間にお前が笑って……そんな顔は、変わらないな」
そう言って笑う彼の顔も、あの時と同じだとセシルは思う。
「……お前も変わらないよ」
彼からもらう安堵、一緒にいられる幸せ、そして得られる強さ。
ずっと変わらないもの。
いや、最初よりも今のほうが、それは大きなものに育っているのかもしれない。
握った手から伝わる想いには果てがない。
いつも手を繋いでいたあの頃、どこまでも共に歩いて行けるような気がしていた。
そして今でも、まだセシルは、彼と共に果てのない未来へ向かって歩いている。
二人だけの静かな部屋の中、もう少しだけこのまま手を繋いでいたいと、我儘を言った。