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―Ceodore & Cain―

「カインさん、どうして料理が得意なんですか?」
 目の前のテーブルには、様々な料理が並べられていた。
 どの皿も非常に手の込んだ料理だということは、その味はもちろん見た目からも明らかだ。
 城で供される料理と遜色ない出来映えの皿の数々。
 だがこれらの料理を作ったのは、本職の料理人ではない。
 今セオドアの向かいに座っている人なのである。
 セオドアにとっては上官であり、師匠でもあり、そして父の親友であるカインだ。

 問われたカインは少し考えて口を開いた。
「何故と言われてもな……長いこと一人で暮らしていたせいもあるだろうが」
 それは知っている。
 けれど、
「昔から得意だったって聞いてますよ?」
 これだけ立派な屋敷なのだ、当然、専任の料理人もいるだろう。
 セオドア自身は料理などまったくしたことがない。王子という生まれなのだから当然ではある。
 だが、その点では、国内でも有数の名家の跡継ぎとして生まれたカインも似たような境遇のなのだ。
 それなのに、昔からなかなか凝った料理を作るのだと父からも、母からも話を聞いていた。
 実際、今日のようにセオドアが屋敷に遊びに行くと、食事を振る舞ってくれることも多い。
 だが、その本人は、
「得意というほどでは……」
と謙遜している。
「そんなことないですよ。どれもみんなとっても美味しいです」
「そう言ってもらえると俺も作った甲斐がある」
 セオドアの褒め言葉を、彼は素直に喜び、笑ってくれた。

 それで、と話題を戻す。
「最初に料理をしようと思ったきっかけって何だったんですか?」
「さあな……さすがにそれは覚えていない」
 覚えていないくらいに幼い頃だということだろうか。
 父は知っているのだろか、とふと思う。
 本人が忘れているというのだから、さすがにセシルも知らないだろうか。
 そんなことを考えていると、カインが不意に
「料理に興味でもあるのか」
と言った。
「え?……あ……ええと、はい」
 相変わらず鋭い。
 セオドアが急にこんな話題を持ち出したのには、理由があった。
「この間……遠征中に、山の中で野営をしたじゃないですか」
「ああ」
 最近では、国家間や各地の街々との間での輸送任務が多い。
 そのため、人里から離れた場所での野営というのは、セオドアにはほとんど経験がなかった。
「食事の用意をしていた時に、包丁を触ったことすらないって言ったら……まぁ、その、……驚かれた、というか」
 呆れられたというほうが近いかもしれない。
 そういう時は、やはり今でも少しだけ自分の生まれを恨めしく思ったりもする。
「なるほどな」
 納得した様子でカインが頷いた。
 もしかしたらこれらの事情は既に知っていたのかもしれない。
 隊長である彼のところには様々な報告が上がっているだろうし、そうでないとしても、とてもよく周囲を見ている人だ。
 口にも態度にも出さないけれど、状況は把握していて、さりげない形で助力をしてくれる。
 そういうことが今までにどれだけあったことだろう。
「軍に入るか、兵学校に行くまでは料理なんてしたことがなかった奴がほとんどだと思うぞ、あいつらもな」
 あまり気にするなとカインは言い添えた。
 初等学校を卒業して、そのまま兵学校には行かず、赤い翼に入ることを希望したセオドアである。
 進学するという選択肢も有効だったのかもしれないな、と今更ながらに思う。
 父は、学校へは行きたくなったその時に行けばいいと、あっさりとしたものだったが。
 いろいろと悩み事の多いセオドアを見つめ、カインが小さく笑う。
「そうだな……一応、デザートも用意はしてあるんだが。その前に一仕事してもらおうか」
「え? はい……?」
 食事はすでにメインディッシュまで終えている。
 ついてこい、と席を立ったカインの後を追うべく、セオドアも慌てて立ち上がった。

「大きさは適当でいい。どうせ溶かすからな」
「は、はい」
 連れて行かれたのは、屋敷の厨房だった。
 まな板の上に濃い茶色の塊を置いたかと思うと、包丁を渡されて、これを刻めと言われた。
 匂いからしてこの塊はチョコレートだろう。
「そっちの手は丸めておけ。指を切り落とすぞ」
 覚束ない手つきで包丁を持つ。
 言われた通り、左手は軽く握るようにして、チョコレートが動かないように抑える。
 恐る恐る刃を当てた。
 切るというよりは、削るような感じになる。
 ちらりとカインの顔を見ると、それでいい、と頷いてくれる。
「もう少し切りやすいもののほうが良かったな」
「いえ、大丈夫、です」
 包丁はまったく使ったことがなかったが、剣やナイフといった武器の類いならば刃物はそれなりに扱い慣れてはいる。
 とは言え、
「ナイフとはやっぱりちょっと違いますね」
 ちらりとカインを見上げて言うと、すかさず注意が飛んでくる。
「そうだな。よそ見はするなよ」
「はい」
 慌てて視線を手元に戻した。
 
 ぎこちない手つきながらも夢中で刻んでいると、やがて細かくなったチョコレートの小さな山が出来た。
「そのくらいでいいぞ」
 ただ切っただけではあるが、妙な達成感がある。
 予め鍋で温めていたミルクの中に、カインが刻んだチョコレートを入れた。
 そしてその鍋を再び火にかける。
 そこで木べらを渡された。
「かき混ぜろ」
「はいっ」
 やっている作業はとても単純なのだが、何故か楽しい。
 徐々にミルクにチョコレートが溶けて、辺りに甘い匂いが漂う。
「それは?」
 カインが今度は鍋に二種類の粉を入れた。
「ココアとコーンスターチだ」
 粉と溶けたチョコレートを混ぜ合わせる。
 先ほどのように木べらをぐるぐるとかき回していたのだが、やがて、
「……なんだか重くなってきましたよ?」
「コーンスターチが入ったからな、とろみがついて多少固くなる。底までしっかりかき混ぜるんだぞ、焦げるからな」
「は、はい」
 コーンスターチ云々の意味がよくわからなかったが、とりあえず焦がさないように頑張ろうと返事をした。
「料理なんて、何を入れたらどう変化するのか、それを覚えればあとはただの応用だ。そんなに難しいことでもない」
「へぇ……」
 簡単なことのように彼は言うが、それを覚えるのが大変なのではないだろうか。
「興味があるなら暇な時に来れば教えてやる。ここでならいいだろう。城の厨房はお前が入るとさすがに、な」
 カインは言葉を濁したが、城で料理をしたいと言うとさすがに困惑されるだろうことはセオドアにも想像がつく。
「そうですね」
 苦笑して頷くと、カインはいつになく真剣な顔で言った。
「やってみたいことがあれば何でもやってみろ。セシルやローザも止めはしないだろう。あいつらに話し難ければ俺に言えばいい」
「……はい」
 カインも子供の頃、そういう風に育てられたのだろうか。
 見上げた彼の顔が、以前、父親の話をしていた時の表情と重なる。
「一人で我慢して諦めることはするなよ」
 やりたいことはなんでもやってみなさい、と、セシルもよくセオドアに言う。
 父と同じように見守ってくれる優しさが嬉しかった。

 やがてふつふつと泡がはじけるように沸いてきたところで、一度鍋を火から下ろすように言われた。
 鍋に蜂蜜を入れる。
 カカオの少しビターな匂いに、蜂蜜の優しい香りが混ざる。
「砂糖でもいいぞ。そのほうが一般的だな」
「ふぅん……でも蜂蜜で作るんですね、カインさんは」
「セシルが蜂蜜のほうが美味いと言うからな」
 甘い物を食べているカインはあまり見ないのにと思っていたが、こんな甘そうなものを作れるのは、どうやら父のせいらしい。
 やっぱり羨ましいな、と思いながらも、セオドアはくすくすと笑ってしまった。
 もう一度鍋を火に戻して、沸騰するまでかき混ぜる。
 二度沸騰させたほうが滑らかになる、と言われ、なるほどなあ思う。
 ただチョコレートを溶かしただけのものでも、どうやら料理というのは奥深いもののようだ。
 とろりと濃厚な液体をカップに移す。
 ホットチョコレートの完成である。

 出来上がったカップを持って再び食堂に戻る。
 デザートも用意してあるという言葉の通り、苺の乗ったタルトと、同じく苺のムースやゼリーを綺麗に重ねたものが出てくる。
 ちょうど苺の季節だ。
 砂糖の甘さは控えめで、苺の持つ本来の甘さと酸っぱさがちょうど良い具合に混ざって口内に広がる。
 そして自分で作ったホットチョコレートに口を付けてみる。
 初めての料理は、よく知ったチョコレートだけれど、少しだけ特別な味がするような気がした。

「父さんが言うんです。一番のごちそうは、カインさんが作った食事だって」
 ふと父の言葉を思い出した。
 カインがカップをソーサーに戻しながら苦笑する。
 いつもならばデザートの際にはコーヒーか紅茶を口にしていることが多いカインだが、今日はセオドアが作ったホットチョコレートを飲んでくれていた。
 自分が作ったものを食べてくれるのは嬉しい。
「城の食事のほうがよほど贅沢だろうに……あいつも物好きだな」
 そう言うカインの口調はとても柔らかい。
 時々、彼はこんなふうにとても穏やかな笑顔を見せることがある。
 それがいつも父や母の話をしている時だということには気が付いている。
 自分の話をしている時もこんな風に笑ってくれていたらいいのに、と思う気持ちは、少し嫉妬に似ているかもしれない。

 タルトの苺を口に運ぶ。
 瑞々しい甘さと酸味が口の中で複雑に混ざり合う。でもそれがとても美味しい。
「……お前も、何でも美味そうに食うよな」
 ぽつりとカインがそんなことを言った。
「……?」
 口いっぱいに苺を頬張っていて、声が出せずただ首を傾げる。
「美味そうに飯を食っている姿は、見ていて幸福なことだと思う。得意かどうかはさておき、料理をする理由はそれかもしれんな」
 一番最初の質問に今更答えが返ってきた。
 ようやく口の中のものを飲み込んで、問い返す。
「……だって美味しいものを食べたら誰でも美味しいって顔しますよ?」
 当然じゃないのだろうか、と不思議に思った。
「いや……」
 案外そう当たり前のことでもないぞ、とカインは呟く。

「本当に親子で良く似ている」
 そう言って微かに笑った顔は、冬の晴れた日の空のようにとても澄んでどこまでも穏やかで。
 僕の話でこういう顔をしてくれるのは、とても嬉しいなと、そう思った。

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