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手の届くところにある幸せ
the Happiness in touch of me
酷く身体が怠い。
頭も痛い。まるで内側からガンガンと殴られているかのようだ。
指一本動かすのも面倒だった。
身体の気怠さのせいだろうか、妙に霞がかって見える視界に広がるのは、粗末な天井。
ある意味では見慣れた光景だ。
気付けば、故郷にある生家の次に長く住んだ場所がこの小屋になってしまった。
あの幼馴染みの親友と相部屋だった学生時代の寮の部屋、入隊後しばらく住んだ軍の兵舎、そんな場所よりも此所に住んだ時間の方が長くなるとは。
挙げ句、一人きりのこの小屋で身体を動かすのすら億劫な今の自分。
このまま野垂れ死ぬのだろうかと、そんな考えが脳裏を掠めた。
そう思うと、何故か逆に笑いがこみ上げてきて、肺から息を吐き出しながらふっと笑い声が漏れた。
「……カイン?」
一人きりのはずなのに、声が聞こえる。
とても懐かしい、子供の澄んだ高い声。
声の主が誰かなんて、考えなくても分かる。
いつの間にか、その声の主が顔を覗き込んでいた。
心配そうに小さく首を傾げると、きらきら輝く銀色の髪がふわりと揺れる。
お前なんでそんなに小さくなってるんだ、と心の中では思うのに、声に出すのがとてもしんどい。
目の前のありえない姿に、これはきっと夢か幻なのだろうと悟る。
夢ならば、幻ならば、触れても構わないだろうか。
現実にはきっともう二度と触れることなど無いだろうから。せめて。
迷っていると、小さな手が、そっと頬に伸ばされた。
「セシル」
頬に伸ばされた手を取ると、幻のはずのその身体を、縋るように抱きしめた。
「カイン……っ、さすがに苦しい」
腕の中で、誰かが暴れている。
仕方なく目を開けると、腕の中にいたのはまるで夢と同じで、セシルだった。
ただし子供ではなく、とうに三十を超えた、大人のセシル。
「……何してるんだ、お前?」
思わず腕の中の親友の顔をまじまじと見つめて尋ねてしまった。
「それはこっちの台詞だ」
返ってくるのは、少し拗ねたような抗議の声。
なぜ、セシルを抱いて寝ていたのだ、自分は。
そもそもここは何処だ。
見慣れぬ部屋の、馬鹿みたいに広い寝台。そこで何故抱き合うように二人で眠っていたのだろう。
眠る前のことを思い出そうと記憶を遡る。
が。
「……っ、つぅ……」
とにかく頭が痛い。
身体が怠い。なんだかうっすら吐き気もする。
昨晩のことを思い出すどころではなく、うぅ、と唸りながら脱力する。
それまで抱きしめていたセシルに、ずるずると今度はカインが身体を預けるような格好になる。
重いだとか文句を言われるかと思ったが、セシルは何も言わず、カインの背に腕を回すと、まるで子供をあやすように優しく背を撫で始めた。
「カイン? どうした?」
セシルの穏やかな声。
昔から落ち着いた、柔らかい話し方をするとは思っていたが。
こういう時に、こういう優しい声をかけられると、何だか参ってしまう。
「……だるい……」
「うん? それだけ?」
「……頭が痛い……」
「気分は?」
「最悪」
ゆっくりとカインの身体を撫でながらセシルが細々と尋ねてくる。
見栄を張るのも面倒で、問われるままに自分の現状を答えると、やがてセシルがくすくすと笑い出す。
「カイン、あのな」
「なんだ」
「それ、二日酔いだよ」
「…………」
どう答えたものか。
自分の身体だ、自分が一番よく分かっている。
セシルが言うことに、間違いはない。
どう考えてもこれは二日酔いだろう。
まったくいい歳をして何をしているのだ、と己を問い質したい。
だが、それすら今はとにかく面倒で。
「ほら、ちょっと放してくれ。これじゃ動けないよ」
セシルがそう言うと、カインの身体を引き剥がした。
正直なところ、背を撫でてくれる手がとても心地よかったので、少々残念なのだが、動けないと言われてしまうと仕方なく、カインもセシルの身体を解放する。
少し動いただけで、胃の底からむかつきがこみ上げて来て、思わず目を瞑った。
どうやらセシルは寝台から下りたようだ。
寝台の軋む音。それすら頭に響いて辛い。
気分の悪さを吐き出すように、大きくため息を吐いた。
「起きられるか? 水、飲んで」
渋々、閉じた瞼をこじ開け、身体を半分起こす。セシルが、水の入ったグラスを差し出している。
黙って受け取って、一気に喉に流し込んだ。
空になったグラスを、セシルが取り上げてくれる。まだ要るか?と聞かれて、いらないと答えた。
再び、寝台に撃沈する。
冷たい水のせいだろうか、胸のむかつきが少しはマシになる。
再びセシルが寝台に上がると、カインのすぐ隣に腰を下ろす。
また、先ほどのように、背に触れる。
何となくほっとして小さくため息を吐くと、枕に顔を埋めた。
「まさかお前のこんな姿が見れるとはね」
「……うるさい」
「昨日も先に寝てしまったし」
口では少し意地悪なことを良いながら、背を撫でる手はとても優しい。
「……久しぶりだったんだ」
ちらりとセシルを見上げて、くだらない告白をした。
どうやら自棄にになっているらしい。
「え?」
「……あれだけ飲んだのは久々だったんだよ」
「そんなに飲んだっけ……?」
セシルが疑問に思うのも不思議ではない。
せいぜいボトルを1本か、2本は空けていないはずだ。昔だったならば全く何ともなかった量だろう。
だが、そもそも。
「酒飲む機会なんて滅多になかったんだ、俺は」
セシルの手が止まった。
どんな表情をしているのだろう。だが、その顔を見るだけの勇気は無かった。
修行をすると。そう言って故郷を後にした。
そんな嗜好品を口にすることなどほとんどなかったのだ、この十数年。
当然、酒に弱くもなるだろう。
「……ああ……そうか。そう、だ……な」
小さくぼそりと答えたカインの言葉に、セシルがため息のような返事をする。
しばし、沈黙が落ちた。
やがて、動きの止まったセシルの手が、今度はカインの髪に、そっと触れた。