gallery≫novel
Brand-new Day
2016 新年
塔の入り口の扉を開ける寸前、ふと上階を見上げると、窓際にいるカインと目が合った。
小さく手を振ると、彼の隣にいたセシルもこちらに気付いたようで、手を振ってくれる。
そんな二人に笑い返すと、両手に小振りのバスケットを下げたまま、ローザは塔の扉を開けた。
先程ここでカインと会って、先に上に行かせたのだが、さて二人で会話は出来たのだろうか。
わざと不自然でない程度に時間を空けて戻ってきてみたのだが。
年の終わりという、ひとつの区切りが近付いて、セシルが神経質になっていることは、傍にいるローザには明白なことだった。
目に見えて落ち込んでいるわけでも、表情に出ているわけでもない。
ただ、いつもよりもぼうっとしていることが多い程度の差なのだが、分かる者には分かる。
そんな彼に、
「大丈夫?」
と問えば、
「大丈夫だよ」
と苦笑に近い笑顔が返ってきた。
その答えに、少し変わったなと思いほっとしたのは数日前のことだ。
大丈夫?という問いに、何のこと?と返されてしまっていたころよりずっと良い。
そうでなければ国王などという立場は務まらないことも理解は出来たが、この十年余り、いつも返ってくる答えははぐらかすような言葉ばかりで、そっと影で一人、質が悪いとため息をつくことも多かった。
大丈夫だという言葉を信じているのかと言われれば、微妙なところではある。
あまり大丈夫そうには見えないのは事実だ。所詮は強がりでしかないのだろう。
それでも、なかったことにされるよりは、ずっと良い。
頑なに見ない振りをするよりも、強がるほうがきっと心は痛いはずだ。
けれどもそれを選べるということは、痛みを受け入れられるだけの余裕があるということの証でもある。
それと同時に、痛みを癒す手段がある、ということでもあるはずだ。
そういう意味では、大丈夫というセシルの強がりは、ローザにとっては信じるに値する言葉でもあった。
長い階段を上がりきり、最上階の扉を叩く。
「お待たせ」
扉を開けてくれたセシルに笑いかける。
持ってきた荷物を受け取ってくれたセシルの表情は、昼間よりもずっと明るく落ち着いている。穏やかな顔を見て、ちょうど良いタイミングだったかしら、と内心安堵した。
まだ窓際にいるカインをちらりと見ると、彼が小さく笑って微かに頷く。
どうやらわざとしばらく二人きりにしたことはばれているようだ。
カインの反応の意味は、もう大丈夫だから安心しろ、というあたりだろう。
荷物をテーブルの上に置くセシルの背後で、ローザはカインに、
「ありがとう」
と、声には出さず、口の動きだけで伝えた。
「すごい量だな」
「数が多いだけよ……たぶん」
チーズやハムの塊や、バケット。塩漬けのオリーブや、野菜のピクルスの入った瓶。
籠の中からあれこれと取り出し、テーブルの上に並べて行く。
ここまで運んでくる都合もあって、テーブルの上に並ぶものは、なんとなく戸外でのピクニックに似ている。
昔はよく三人で出掛けたことを思い出して、思わず頬が緩む。
「どうしたの?」
「ううん、何でもないわ」
「君もカインも、さっきからそればっかりだなぁ……」
セシルがぼやくと、カインが俺は関係ないだろうと言うように眉を顰める。
そんな二人の様子に笑いながら、、
「本当に大したことじゃないのよ。ピクニックみたいだなぁって、それだけよ?」
とローザは言い訳をする。
籠の中から取り出したナイフを手に取り、数種類のパイやキッシュ、ミートローフを切り分けていく。
「ああ……なるほど、そうか、懐かしいね」
「でしょう?」
ローザの言葉にセシルが頷くのと同時に、ポン!と小気味良い音が鳴った。
「もっとも、こんなものは出てこなかったと思うがな」
栓を抜いたシャンパンのボトルを手にしたカインが冗談交じりに言いながら、黄金色の液体をグラスに注いでいく。
「だったら今度はお酒も持って出掛けるの。どうかしら?」
「外で飲む気か?」
「楽しそうじゃない?」
「エブラーナでそんなような風習があるとか聞いたな、そういえば」
思い出話や他愛のない世間話を交えながら、着々とテーブルの上の用意が整っていく。
と言っても、あれこれと動いているのはカインとローザだけで、セシルはそんな二人を眺めているだけだ。あまり手先が器用ではないので、下手に手を出すと二人に叱られるのである。
「……春になったら」
たくさんの御馳走と、グラスの並んだ卓上と、その向こうの二人の姿を見つめながら、ぽつりとセシルが呟いた。
「みんなで行けたらいいね」
昔ほど気軽な立場でもない。
どこか半信半疑な、実現を諦めた夢を見ているような声音だ。
「行けるといいね、じゃなくて、行くのよ。なんとかなるわ。ねぇ?」
きっぱりとローザはそう言いきると、カインに同意を求める。
実際、カインが帰ってきたことで、セシルもローザも以前よりは自由に動けるようにはなっているのだ。カインがいるから護衛はいらない、と言えば屁理屈に近いが言い訳は通るので、特にローザは最近これを多用している。
「そうだな」
笑いながら、カインも頷く。そしてシャンパンの注がれたグラスをセシルに手渡す。
ローザもグラスを手にした。
「今年もお疲れ様でした」
そんな単純な言葉にまとめられるような一年ではなかったのだが、敢えてローザはあっさりとしたその言葉を選んだ。
三人三様に、大変な一年だった。殊に、セシルとカインにとっては、大変の一言で済むはずがない程に困難な年だったはずだ。少しでも彼らを支えられていたら良いとローザは思う。
「乾杯」
三人の声が重なって、互いのグラスが触れる澄んだ音が響いた。