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2016 新年

「いつまで待たせるんじゃい!」

 下働きの者たちが起き出すにはまだ早い時間だ。ひっそりと寝静まった城内を抜け、飛空挺のドックへ向かうと、その手前の発着場で威勢の良い声が降ってきた。
 飛空挺が一機、すでに離陸準備が整った状態で用意されている。
 甲板には、いつも威勢の良い技師の姿。
 
「これから飛ばすの?」

 ローザが首を傾げセシルに問うが、問われたセシルも何も聞いていなかったのだろう。同様に首を傾げるばかりだ。
 
「これだけ大掛かりなんだ。何を見せてもらえるのか、せいぜい期待しようじゃないか」
 そんな皮肉混じりの言葉を残し、カインは飛空挺の甲板へ上がっていく。もっとも顔は笑っているので、冗談なのだろう。
 相変わらずな親友の様子に笑いながら、
「行こうか」
とセシルもローザを促した。

 もう間もなく夜明けを迎えるはずの、今はまだ暗い空に飛空挺が上昇して行く。

「どこに向かうつもりなんだ?」
 舵を取るシドの隣に立ち、セシルが問う。

「昼間、整備が終わったばかりなんじゃ。試験飛行代わりじゃよ」
「……こんな時間にか?」
 操縦席からやや離れたところにいるカインは怪訝そうに二人のほうを振り返る。

「ああ、そういうことか」
 カインの質問に、セシルがはたと手を打った。
 そしてシドの代わりに、問いに答える。

「こんな時間だから、かな……そうだろう、シド?」

 どうやら、思い当たることがあったらしい。
 だが、セシルの答えはカインには謎かけのようにしか聞こえない。

「どういう意味だ?」
「もう少ししたらわかるよ、きっと」

 わからん、とばかりに首を捻るカインと、先程までの怪訝そうな顔から一転して笑顔のセシルに、
「まぁ見ておれ」
とシドは豪快に笑い、舵を切った。

 飛空挺はぐんぐん高度を上げていく。
 ただの移動ならば、ここまで高度を上げることは滅多にない。
 だが、雲を抜け、それでもまだ上昇を続けていく。
 高度が上がれば、その分空気は冷えていく。
 身体が凍り付くような冷たい空気。しかし、地上とは違った澄み切った空気が頬を撫でていく。
 
 ふいにカインは外套を脱ぐと、ばさりと無造作にローザに投げ渡す。
「着ておけ」
「あ……ありがとう」

 まさか飛空挺に乗せられるとは思っていなかったので、きちんとした防寒具など用意していない。外に散歩に行くような格好で出てきたのだ。

「お前は大丈夫?」
 セシルがセオドアに尋ねると、はい、と元気の良い返事がかえってくる。もっとも、夜通し外にいたセオドアは、三人よりもずっと暖かい格好でいる。
 
「寒くない?」
 一方、言われるままに、カインから渡された外套に袖を通したローザだが、本来の持ち主を見上げた。
「空は慣れている、問題ない」
 返ってくるのは無愛想な声だった。
 
 
 
 徐々に、空の下のほうが明るくなってきた。
 目の前に広がる一面の空は、濃い藍色からオレンジへのグラデーションを描いている。
 地上ならば、海や大地のあるはずの場所には、雲海が広がっている。 

 暖かな太陽の色に染まった空の下端が、ほんの一瞬、白く染まり、それが瞬く間に輝く弧を描いて収束する。
 そして円へと形を変えた白く輝く光が、雲海の中から少しずつその全体を見せていく。
 同時に藍色の空が、紺へと変わり、青から紫、そして淡い水色へと次々と塗り替えられていった。

「……きれい……」

 太陽の丸い光が、雲海から離れる。
 それと同時に、言葉もなくただ呆然と空を見つめていたローザがぽつりと呟いた。
 
「すごいですね……!」

 この景色を見るために飛空挺を飛ばしたことを知っていたはずのセオドアでさえ、想像以上の圧倒的な光景に静かな歓声を上げている。
 
 そんな二人を背後で見ていたカインも、その奧に広がる空を見つめながら、知らずため息を零す。
 気付けば、隣にセシルがいる。
 
「忘れてたよ。こんな景色があるってこと」

 かつて赤い翼を率いていたセシルは、日の出の瞬間を、この甲板から見たことが何度もあったはずだ。

「ちょうど一年前だな」
「うん?」
「試練の山の頂上から、日の出を見たんだ」

 カインが見たあの光景も、間違いなく絶景だった。
 あの時見たものを、そして感じたことを、今も忘れてはいない。
 だが。
 
「世界で一番高い場所だと思ったんだがな。……空のほうがずっと高いんだよな」

 そう言うと、苦笑する。
 カインもまた、セシル同様、空中での日の出は何度も見ていた。
 飛竜の背から見た景色を、いつの間にか忘れていたのも、同じだ。
 
「俺も忘れていたようだ」
「一緒に、任務中に見たこともあったはずなのにね」
「そうだな」

 見つめる空の向こうに、まだ幼いとも言える十代の頃の自分達の姿が見えるような気がする。

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